冷凍都市のくらし、アイツ姿くらまし

独立して5年経った個人事業主のあれこれ

そろそろ安楽死施設作りませんか?

多分GW開け死にまくってるよね。そろそろ作らない?安楽死施設。年齢制限とか、ある程度の要件を設ければよくない?


自分の意思でいつだって死ねるようにしようよ。


親のエゴで産まされてさー、この日本で幸せになれるかどうかは全て自分の努力次第ですって9割がたの人間は言われてさー、普通に考えて相当つらくない?努力って。


成人になれば、息を吸うように当たり前に勤労と納税の義務負わされるけど。


しかも人間関係とかリストラとかパワハラとか病気とか借金とかさー、自分の意思や努力じゃ絶対に解決しない理不尽だって腐る程この世にはザラにあるでしょ?


逃げろって言うけど、そもそも逃げ場がなかったり、逃げた先でも運が悪くて何度もそーゆー目に合うことだってあるやん。


っつーか、普通の社会人生活送っててもキツいわ。生きることを社会正義的には強制されるって。


みんな酒とか趣味とか子育てとか、無理やり誤魔化して生きてんだよ。自然じゃねーんだよ。油断すると死にたくなるから、生に意味を見出せなくなるから、無理やり生き甲斐作ってる人間だって腐る程いると思うわ。


いやほら俺は無責任にも自分のエゴで、もはや何の未来も希望もない日本で子供産んじゃったからさ、もうそこは責任持って子供を「死にたい」なんて絶対思わせないくらい絶対に幸せにするんだって思ってるから、頑張ってなるべく死なないけどさー。


そんな自分でも、もしいきなり完治不可な大病にでもかかって家族に介護とか時間的にも経済的にも迷惑かけまくるしかなくなったら普通に今すぐ死にたいって思うよ。痛みなく眠るように穏やかにさ。


その決断を家族に判断させんの、すげー酷じゃね?


そりゃ親は子供に幸せに生きて欲しいよ。自殺なんてして欲しくないよ。俺の親だって俺に対してそう思ってる。俺だって子供に対してそう思ってる。


でも毎年3万人以上死んでんじゃん。あれ死因不明扱いされてたり事故死扱いされてたり失踪扱いされてて実は自殺でしたってのを加えたら4万、下手したら5万とかフッツーにいくんちゃうか?


そう。死ぬんだよ。苦しい方法で。絶対に。一定数は。統計学のように。毎日毎日。


いや減らす努力は絶対に必要よ。親なり行政なり。3万が0になるならそれに越したことはない。でも、なるんか?ならねぇよ。何年経ってんだよ。自殺者数え始めてから。


仮に0になるとしても、そこまでいくのに何十年かかるんや?


安楽死施設が出来たことで本来死ぬはずの無かった人が安易に大量に死んだ?


ホントか?安楽死なかったら勝手に自殺したんとちゃうんか?或いは、死にたくても死にたくても無理やり生かされて、「ジョニーは戦争に行った」みたいになってたんちゃうんか?


それが絶対に100パーなかったって科学的に証明できるんか?できないから。悪魔の証明だから。つまり、その視点はズレてる。


本当の人権てなんだ?尊厳てなんだ?


命ってなんだ?自分の意思で産まれてきてないのに、自分の命は自分で決めたらいかんのか?


社会通念上?道徳?


違うだろ?


もっともっともっともっと本質はなんだ?


なんで死んじゃいかんの?


whyを20回しようよ。


なんで?

一億総発信社会になったことでのメリット・デメリット

IT化の成熟により一億総発信社会になったメリットは、監視社会になったこと、一部において評価経済が成り立ったことだ。


デメリットは、無数のバカが発信することで良質な情報が埋もれる事と、結局は第2第3のマスゴミが生まれたことだ。


監視社会は、生きづらさを助長もするが、反面、一般的な善良な市民にとっては恩恵を授かる場合も多い。


例えば、煽り運転、学校のイジメ、ブラック企業の仕打ち、上級国民による殺人等々、昔なら被害者と極一部の人間以外には全く知られずに、アッサリと何の処罰も無しに闇に葬られたであろう事件や事故の数々が、今ではネットで晒されることで大炎上し、大衆の関心が集まることで、なあなあな対応を許さず厳罰化や法整備が進んだり、重い処分に結びついたりする場面は割とある。


権力者にとってはエタヒニン同然の奴隷共が生意気にも徒党を組んできて厄介だろうが、一般的で善良な弱者にとっては世論を味方にできるのは心強い部分も確かにある。


また、どんなに大企業が莫大な広告費を投じても、実態としてのレビューがすこぶる悪ければ商品やサービスは売れない=多数による評価が保証されたものが売れやすい。或いは、悪い部分や偽装粉飾はすぐ拡散・炎上する。という経済的観念の一般化、即ち社会により満足度がある程度担保された評価経済モデルは、やはり一消費者に過ぎない弱者からすると、騙されるリスクが低減するので、ありがたい事だ。


逆にデメリットなのは、無数のバカが情報を錯綜させたり無価値なゴミを大量に産み出すことだ。悪貨が良貨を駆逐するように、検索サイトのトップにデマ情報や胡散臭いステマ記事、或いは不当にディスった記事など、著しく偏った主観による情報が並んだりするのが一例だ。


また、有益無益問わず情報自体が数百億単位で氾濫するので、全ての個別的情報に物理的にに目を通せない我々は、その上澄みを断片的かつ恣意的に取り上げるような、権力のあるITメディアに、結局の所、踊らされやすい傾向にある。


或いは、一部の評価経済というのは、ある程度多数の洗脳された信者がいれば、実を伴っていなくとも、その商品やサービスの価値を不当に高めてしまうという逆説的な効果も発揮してしまう。


それらに常に疑念を抱けないと、昔の新聞やテレビだけが情報源だった偏った時代とあまり変わらなくなってしまう。


或いは、一部の評価経済というのは、ある程度多数の洗脳された信者や雇われインフルエンサーがいれば、実を伴っていなくとも、その商品やサービスの価値を不当に高めてしまうという逆説的な効果も発揮してしまう。


ここに挙げたメリット・デメリットは、結局の所は全て表裏一体で、今も昔も受け手側の情報リテラシーに依存しまくる点は実はあまり変わらない。


ただ、昔に比べてあらゆる面において情報の総量は遥かに増えているので、多角的な意見・情報に触れ得るハードル自体は、間違いなく格段に下がったことは言うまでもない。


ただ、この一億総発信社会化によってもたらされる数々のメリット・デメリットを総括した上で極めて断言しずらい点は、それが最大多数にとっての幸か不幸か、という話だ。


個別的・部分的な面で見れば、少なくとも昭和の時代ならば秘匿され、絶対に触れられなかった情報にも、確かに今なら触れられる。


ただ、それが幸せな事なのか、というのはまた別の話なのだ。


真実は、時に絶望や苦しみを産み出す。


嘘は、時に希望や楽しみを産み出す。


突き詰めていくと、日本人の気質、民族性など、民俗学にも通じて来そうな気がする。

止まらない焦燥感、鉄風鋭くなって

このご時世、もう正社員だろうが自営業だろうがあまり関係ないと思うが、俺の場合は常にとてつもない焦燥感に駆られている。


日頃から焦燥感に駆られているせいか、いきなり10連休とかあっても正直大して安心感を持てない。体の芯から謳歌できない。というか、謳歌の仕方を心と体がすでに忘れかけている。例え仕事が休みだったとしても、やることがない、落ち着かない、そういう人もそこそこ多いんじゃないだろうか。


さて、突然だが、我が家の出費は毎月必ず40万以上は飛ぶ。50万を超えることもよくある。

40万、50万と聞くと、なんだか相当な浪費家に思われそうだが、決してそんなことはない。

 

まず税金と年金だけで毎月10万ちょい。それに住宅ローンの返済額と、仕事で使うオフィスの家賃、水道光熱費、通信費、生命保険などの固定費が20万ちょい。これらの合計額が30万ちょいだ。ここから先がようやく個人的には可処分枠になるのだが、食費、被服費、日用品、学費、交際費、図書費、交通費、趣味etc…これらを10万程度で済ませて総額40万オーバー。というのが、我が家のザックリとした家計簿だ。


これに家電や家具の買い替え、実家への帰省などのイレギュラーが1つでも加わると、あっという間に、その月の出費合計額は50万オーバーとなる。
 

正直10万円なんて、実家暮らしの新卒リーマンからしても、大して自分の為に使えてないなぁ…と思う額じゃないだろうか。一ヶ月が30日間ある中で、どこかの土曜日に繁華街を歩いていて見惚れた中堅ブランドのアウター服を2着買ったらもう残り5~6万円。さらに、どこかの日曜日にライブや舞台などのイベントに友達と1回参加して、感想を語り合う為に何軒か飲みにでも行ったら、もう残り2~3万円。あ~やべ、まだ今月28日間もあるのに…。そんなレベルだ。インスタ映えとか気にしてるような一般的なリア充生活を送るには、あまりにも心もとない金額だ。


その10万+αくらいの金額で、4人家族の一ヶ月の生活費を大抵まかなっているのだから、俺も家族も大して贅沢はしていないはずだ。
そんなこんなで、月々にして45万円~50万円、年間にして540万円~600万円程度の出費で、幼子二人を抱えて、なんとか野原ひろし的な生活をここ数年は実現できている。

 

ちなみに嫁はずっと専業主婦だ。働きたくねーと言っていたし、子供が好きなので、家事育児に専念して貰って、その分、俺が必死に稼げばいいと思ったのだ。

 

幸い、サラリーマン時代と違って、今は自分の努力と運次第で、年収をいきなりグンと伸ばすことは一応可能だ。今の昭和的な一馬力スタイルを選び取った時、そこに懸けたというか、あえて楽観的でいたのだ。

 

だが、本当の地獄はこれから始まるのだ。

何故なら、いま現在子供2人には、ほとんど金がかかっていないからだ。

 

これから小学生、中学生、高校生、大学生と子供の年齢が上がっていくのに比例して、この可処分額10万円が15万、20万、25万、30万と上がっていく可能性は極めて高い。

 

仮に、子供二人が私立高校に通うようになって、私立もピンキリではあるが、毎月の授業料を一人あたり約6万円だとした場合、それだけで12万増える。

 

制服代やら教科書代やら参考書代やら予備校代やら修学旅行代やらその他諸々の学費を入れたら20万以上なんてあっという間だろう。

 

当然スマホも持たせているだろうし、多感な思春期だ。プライベートにおける身だしなみにもそれなりに金はかかる。

 

すると、親である俺は今と全く同じ生活をしていたとしても、毎月の出費は60万だの70万だの、ヘタしたら80万になる月も出てくるだろう。

 

仮に70万。これを一つの基準にしたとしよう。

 

すると、年間で840万円の出費となる。

 

恐ろしい。本当に恐ろしい。死ぬほど恐ろしい金額だ。

 

ちなみに俺はいま現在、車を所有していない。

子供は小さいので、あった方が絶対に便利だ。それはよく分かる。

 

だが、持ちたくても持てないのだ。

所得1000万~1500万程度の雑魚では。

 

もし万が一、10年後に所得が700万程度まで落ち込んでいたらどうする?
仮に嫁がパートに出てくれていたとしても、貯蓄をする余裕なんて皆無だろう。

 

車を持ってしまっていたら、二馬力だったとしても、即赤字転落だ。

そう考えると、毎月数万円もかかる固定費は、あまりにもリスキーだ。

もちろん、田舎住まいではないからこそ出来る選択肢ではあるが。


このご時世で多いであろう、月給30万ボーナス年間100万ずつの年収460万×2の正社員共働き子持ち夫婦なども、正直ウチと状況はあまり変わらないんじゃないんだろうか。

 

彼らは働く上ではオフィスの家賃も通勤にかかる交通費も自己負担する必要はないが、その分、高い保育料が掛かっている。これからは無償化で保育料もなくなるかもしれないが、少なくとも、今まではずっとかかってきた。

 

それに車の保有率も高いだろう。共働きだからこそ、つい外食に頼ったり、夫婦ともに身だしなみを整える為の出費が増える場合も多いだろう。

 

こういう保育料・車維持費・外食・被服費・美容費等々を考えると、結局のところの出費は大して変わらないような気がしてならない。(まあ厚生年金・退職金などの社会福祉は自営業と比べて収益的にとんでもなくデカいプラスなんだけど、ここでは子育て時に必要な目先の収支だけを考えるものとして)

 

つまり、こういう夫婦も今のままの生活を続けて、子供二人が私立高校を志望したら10年後には赤字ギリギリなわけだ。

 

もし旦那か奥さんがリストラされたり、止むを得なく望まない転職をしたり、心や体の病気になったり、片方に何かあればその時点で即詰みかけることも多いだろう。


…こう考えると、親から受け継いだ土地持ち、家持ちという人は、それだけで物凄くアドバンテージがあるんだということが、痛いほどによく分かる。


田舎はよく知らないが、賃貸にしろ分譲にしろ、東京都外のベッドタウンでも3LDKなら毎月家賃に10万程度は最低かかるんじゃないだろうか。東京郊外なら15万~25万程度だろうか。
それが固定資産税と修繕積立だけの月数万円で済むのは、あまりにも、あまりにも大きい。残債なしの家と土地がある。それだけで人生が変わると言っても過言ではない。

 

と、愚痴りつつも、要は何が言いたいかというと、「子供二人を中学まで公立で高校~大学は私立に行かせる」というのは、散々巷でも言われ尽くされてきたが、改めるまでもなく、当然のことながらやっぱりとんでもなくハードルが高いということだ。

 

 

そして、子を持つ親なら、まず間違いなく皆このぐらいの大まかな出費の算段はつけているだろう。常に意識しているだろう。

 

そりゃあ年1回か2回程度は近場でも沖縄でも北海道でも、どこかしら楽しい観光地に何泊かさせてあげたいよ。

ディズニーランド、ユニバーサルスタジオジャパン、毎年連れて行ってあげたいよ。

できるならハワイにも連れていってあげたいよ。

やりたいって言う習い事を可能な限り何でもさせてあげたいよ。

希望の大学に通う為に一浪ぐらいだったら仕方ねぇなって、させてやりたいよ。

こども手当は当然のように一切手をつけずに、子供を社会人として送り出す時に全額そのまま渡してあげたいよ。

子供が持った本気の夢や目標を「お金がないから」っていう理由で却下することだけは何があっても避けてやりたいよ。

 

皆そう。大抵そう。親なら同じようなことは考えてる。

 

いくらいるんでしょうね、お金。

いくら稼いでもキリがないくらいにかかりますよね、お金。

 

俺は自分が稼げない奴だからっていう理由で、愛すべき家族に迷惑を掛けたくないのだ。

 

だから、焦燥感が止まらない。

マイルドヤンキーが一番幸せなんじゃね?

あー、地元の半径二十キロからはまず出ないスね。地元とダチと家族は命ッスね。ちなみに肩と足首に小っさいけど墨入ってんスよねー。もちろん嫁とお揃ッスよ。え?新聞?読まないッスね。ネット記事?あんま読まないッスね。パチスロ関係のとかはアプリも入れてるし読むンスけど…。もちろん車は好きッスね。あ、単車の方はもう後輩に安く譲ったんスよ。子供の名前っスか?上の子が彪雅(ひょうが)で下の子が宝愛瑠(じゅえる)っスね?可愛くないスか?仕事はいわゆるガテン系ッスね。嫁もスーパーでパートやってて共働きッスね。休日は地元のダチ達とBBQとかイオンに行くとかッスかね。

 

みたいな。

 

大学生~20代半ばぐらいまではさー、俺こーゆー人達のこと、無意識に見下してたワケよ。

 

オイオイオイ、せっかくこんだけ文明が発達して世界中どこにでも気安く出掛けられる時代に、ネットの普及で世界中の誰とでも簡単にコミュニーケーションが取れる時代に、これだけ沢山の娯楽や情報が溢れる時代に、せっかく人間として生まれたのに、どんだけ狭い世界で満足してんだよ。いつまで思春期のせっまい人間関係と世界に依存してんだよ。飽きないワケ?っつーか、そんなんでよく人生満足できるね?マジで。少しでも未知の新しい世界に飛び込もうとか思わないわけ?世界は広いんだぜ?ハァー、意識ひっく。ま、これが大卒とそうじゃない人間の差なんだよなー。家庭環境の差、親の学歴と経済力の差ってやつ?持つ者と持たざる者の差ってやつ?あーカワイソ。

 

みたいな。まあ、十代~二十代前半の時って、謎の万能感に酔ってて色々勘違いしやすくて、早慶とかそこそこの国立大学行った程度でよく分かんないエリート感とか拗らせちゃったりするわけよ。偏差値だけで見れば同世代の上位10パーくらいには居るわけだから。そこそこ努力してきた自負持っちゃうわけ。最低でも大企業かその子会社あたりには難なく就職して俺はデキるまともな大人になっていくんだー、みたいな。

 

でもさ、結局はそーゆー大学出てようが、日東駒専ぐらいの大学出てようが、大抵の人はただのリーマンになるワケじゃん。大企業にいたとしても変わり映えしない細分化された末端の仕事だけやってたりするわけじゃん。使えんのなんて精々パワポとエクセルくらいでスキルらしいスキルなんて実は何も身に付いてなくて、業界知識・社内ルールの熟知と社内調整とかだけ無駄に上手になってて。あー、こーゆー稟議通すなら〇〇さんに事前にネゴっとけ、みたいな。多少数字作れるようになってたとしても、それって結局取引先にしろ社内リソースにしろ全部会社が元々用意してくれてたもんを繋げてどーこーしただけで全然自分の力じゃねーよって痛いほど自覚してたり。看板使っての営業とか誰でも出来るわって嘆いてたり。証券とか銀行とかならノルマにウンザリして内部の蹴落とし合いに人間不信になったり。

 

で、5年~10年近くやってると嫌でも気付くわけよね。自分はエリートでも何でもなく、ただの被支配層の一般庶民で、大株主達の奴隷で、特に何者でもないことに。

 

地頭はそこそこ良くって、ネットリテラシーもあるから、社会情勢は日頃からネットで漁ってて、読み取って、それを咀嚼して、少し先の未来、自分の身の回りで実際具体的にどういった事が起きるのかをなんとなく予測するところまでは出来る。

 

で、そうなると働き方改革とか、税金の仕組みとか、就活ルールの廃止とか、企業のリストラとか、インフレ率とか、それに伴う年金のマクロ経済スライドとか、少子高齢化とか、生産緑地法改正に伴う2022年問題とオリンピック終了時期が重なることでの不動産価値の暴落とか、まー悲観的な情報は毎日毎日いくらでも入ってくるわけじゃん。

 

で、色々このままじゃ俺やばくね?って電車に揺られながらアレコレ考えたりすんだけど明日も朝7時に起きなきゃだしっつって、それらに対して何か積極的に策を講じたり行動するわけでもなく酒飲んで寝るだけなわけじゃん。そもそも物事の範囲と影響力がデカ過ぎて、根本的にどーこーできるもんじゃないことも多々含まれてるんだけど。

 

未来がやばそうでもとりあえず納期とかあるし目の前の仕事はしなきゃいけないわけじゃん。疲れるじゃん。酒飲みながらブログで愚痴るじゃん。寝るじゃん。以下ループ。まあオレの生活そのものなんだけど。

 

ホリエモンが昔なんかの記事で経営者に向いてるのは「リスクをモノともしないバカ」一番向いていないのは「小利口な人」って言ってたんだけど、分かる。後者は俺だわ。

 

なんか情報氾濫社会において、情報をちゃんと処理しきれてないよね。情報を得て、ただ不安になったりストレス溜めたり危機感持ったり感想垂れ流したところで意味あんの?っつー。

 

十代の時は狭い範囲で生きてるマイルドヤンキ―を散々煽ってた癖に、結局社会人になってからハワイにもモルディブにもアメリカにも香港にもスイスにもシンガポールにもタイにも行ってないです、みたいな。休日ッスか?疲れてるんでネトゲやってていいすか?みたいな。平日は毎日満員の奴隷輸送電車で自宅とオフィスの往復です。なんなら個人事業主になってから自宅全く出ない日もあります、みたいな。

 

無駄に検索力と読解力だけあって自分にどうこう出来ない未来のこと考えてウダウダ苦しんでる奴より、いつまでもワンピ最高とか言いながら、とにかく目先のことだけ追ってるマイルドヤンキーの方がよっぽど遥かに幸せで健全なんじゃねぇのって。

 

そう思った。

田舎への身勝手な憧れ

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俺がまさにそうなんだけど、関東圏内で産まれ育った人って、例えば沖縄とか鹿児島とか北海道とか四国とか九州とか鳥取とかどっかの島とか、遠い田舎で産まれ育って思春期が終わったあたりで上京してきて今自分の目の前に立っているような人に対して、ある種の妄想的で押し付けがましい羨望を勝手に抱いてることってないだろうか?

 

例えば根っからの都会育ちの人間が「田舎」というワードを聞いた時には、頭の中でまず一番最初に思い浮かぶ田舎像ってのが、上の写真みたいな「君の名は」とか「ひぐらし」とか「サマーウォーズ」とか「ウォーターボーイズ」とか「僕の夏休み」とか「僕たちと駐在さんの700日戦争」とかに出てくるような典型的な昔ながらの風景なんじゃないかと勝手に思ってる。

 

で、そこで田舎なのになぜか芋っぽくはない見た目だけヤンキー気味のイケメン達、可愛い制服姿のJKたちと、毎日学校や田んぼ道の通学路ではしゃいだり、ハっとするくらいの青空が延々頭上に澄み渡っていて わたあめ雲がいくつも浮かんで太陽の光がサンサンと降り注ぐ中、見晴らしのいい海沿いのコンクリートの国道を、まだ彼女じゃないけどイイ感じの女の子とドキドキしながらチャリでニケツして走ってたり、夕暮れ時の縁側で扇風機に「ア゛~~ッ」ってする風呂上りの髪がまだ濡れたまんまの幼馴染(当然可愛い女の子)に向かって「オマエ、ガキノコロカラカワンネーナ」って呆れたように言って、男友達数人と原付き走らせてウェーイって言いながら隣町まで遊びに行ったり、砂浜を走り回ったり、何故かスキューバダイビングしたり、これまたちょっとだけ栄えた隣町で開催される花火大会にクラスメイトみんなで行ったり、ある日、恋愛に悩んだ夜は、家の近くの小山の頂上付近に広がった野原に行くと気持ちいい夜風が吹いていて雑草がザワめいていて、学校帰りの制服姿のままそこにドサって仰向けに倒れ込んで自分の両手で腕枕しながら夜空を見上げれば一面を見渡す限りの星々が輝いていて「ちっちぇ…俺ってちっちぇなぁ」とか自嘲的に呟くわけ。

 

で、卒業が見えてきた時期になると、ずっと一緒にバカやってきた仲間達も「オレ実家の跡つぐわ」とか「地元の会社に内定決まった」とか「夢の為に福岡の専門行くわ」とか色々進路が決まり、それぞれの道を歩むようになり、「みんな色々実は考えてたんだなぁ…俺だけ何も考えずに、このまま親の言う通り東京の大学なんか行っちまって…本当にいいのかな…?」とか独り言ちながら悶々として、3月になると別れを惜しみ最後に皆で行きつけの寂れたカラオケとか海とか神社とか色々地元回ってバカやってる時に、おもむろに偶然二人きりになった、ずっと片思いしてたあのコとか元カノとか現彼女とか、そーゆーのが最後にコソっと自分の耳元で何かを囁いてきて、そんで翌日、車両数の少ない電車の中で一人、なんとも言えないメランコリックな気持ちと、これから都会で待ち受ける未知の体験や出会いへの胸のトキメキを同居させながら、車窓の向こうに広がる田んぼや青空や家々を細めた目で見つめて、ふぅって短く息を吐くわけ。

 

わかる?俺、学生の時も社会人になってからも他人から「あ、自分田舎から出てきて~…」の一言を聞くたびに、毎回ここまで2秒で妄想して勝手に小刻みに震えてイってたからね。

 

「アーナニソレ…サイコウジャン」「え?何が?」「ナンデモナイッス」

 

冷静に考えたらお前いい歳してどんだけ「君の知らない物語」に憧れてんだよ、なにカラオケで恍惚とした表情浮かべながらホワイトベリーの「夏祭り」裏声で歌ってんだよって感じなんだけど、そっからさらに何年も何年も経って子持ちのオッサンになっても未だにそうなのだから、多分死ぬまでこうなんだと思う。

 

アレガデネブアルタイルベーガ…キーミィガァイタナーツハァ…

 

そんで数年ぶりに地元にある日突然一人で帰郷したらまず風景を見て いの一番に「ヘヘッ、ココモカワッテネーナ…」って呟いて、その日の夜はヒゲ生やして恰幅よくなった親友達と、これまたその内の一人が跡継いで経営してる居酒屋ではしゃいだり懐かしんだりして、宴もたけなわになった時に、ずっと片思いで好きだった子と、「アノトキ…ワタシ、○○クンノコト…スキダッタンダヨネ…」「エッ…」「…クスッ…○○クンノ…イクジナシ……ヤット…イエタ」とか、あの頃より更に超可愛くなってすでに子持ち人妻になった元カノと、「ヘヘッ、ブッチャケ ワカレタコト、コーカイシテルッショ?」「ショウジキ…スゲーコウカイシテルヨ…オマエ…マジデキレイニナッタナ」「チョ、チョットヤメテヨ…イ、イマサラッ…ソンナコト…ッ…イワレタッテ…」とか、そーゆーのがやりてえぇんだよおぉォォォォン。

 

いや分かってるよ、ネットで色々田舎生まれの人の実体験とか溢れてるし、自治会がメンドクサイとか、青年消防団が実質強制でクソブラックとか、人間関係がネチネチし過ぎてスゲー陰湿とか、そもそも若者なんてほとんどいないとか、なんでも共有しないとハブられる村社会とか、仕事ろくにないとか、あっても給料がものっそい低いとか、土地物件安くても車社会だからなんだかいって金かかるとか、遊ぶ場所なんてイオンしかないとか、舐めんなイオンすらねーよとか、コンビニまで車で数十分とか、まあ実際は色々と全然違うのは分かってるよ。

 

田舎に憧れを勝手に抱いて安易に移住する若者が1~2年でコレジャナイとか言ってノコノコ都会に出戻りするパターンが結構多いってのも知ってるよ。

 

ほんでもやっぱ自分の中で長年かけて理想化された田舎像、もっと正確にいえば「理想化された田舎における思春期像」ってのは、もうビクともしないぐらいに強固なワケ。

 

遠く離れた田舎に、自分の「ルーツや郷土愛」を明確に強く持っていて、そこには強い縁で結ばれた変わらない「仲間達」がいて、それでも居心地の良いそこから飛び立って、一人都会で新たな生活に臨むっていうところに「物語性」を感じて止まないワケ。

 

あー、ゴールデンウィークは田舎行きて―。島、島に行きて―。

とりあえず近場の伊豆大島とか新島とか行きてーーー。

街中では基本いっつもぶっ殺す覚悟

物騒だけど違うよ、気持ちの話。


都内は殺伐としてるから。

駅とか繁華街の道端とか喫煙所とか。


女性からの視点はよく分からないけど、少なくとも男の視点から見ると都内を足早に一人で歩いてるときは常に脳内は戦状態。


行き交う人の数が多いから、多分明確な言葉にすらなってなくて、イメージとしては雑踏の中で赤とか黄とか青とか色がパッパッと脳内で2フレぐらいで瞬時に次々と切り替わってるぐらいな感じなんだけど。


赤=強そう、デカイ、怖い

黄=大体自分と同じくらい

青=弱そう、ひょろい、ワンパン


都内を一人で歩いてる時の男ってさ、色んな意味で大抵余裕ないからさ、多分道で向こうから歩いてくる足早の男とすれ違う前に、大体こーゆー風に瞬時に色レベルで大雑把に相手を判断してる気がすんだよな。通勤時、退勤時の俺も含めて。


狭い道でザイル系のガタイいいツーブロックゴリラで身長185センチくらいのグラサンかけた奴がオラついて歩いてたら、もう20メートル前あたりから赤点滅してるし、やっぱ擦れ違う時に大抵は自分から避けるわけよ。


でも神木隆之介くんみたいな、小池徹平みたいな、線が細くて身長160後半〜170前半みたいなのが向こうから歩いて来てたらもう20メートル前から青が点滅してるわけ。まあ残り5メートルくらいの時点で相手から避けようとする素ぶりや譲歩の意思がほんの僅かでも伺い知れたら、当然こっちも肩を避けるわけさ。それはもう当然、大人ですから。


でも、相手が微動だにせずガン無視直進の姿勢を貫いてたりするとこっちも、「ほーん、雑魚がイキっとるやんけ」って直進のまま肩ぶつけてオラァって進むわけ。もうさ、その時に覚悟は出来てるわけよ。相手がもしその後に「チッ!ッテーな!」とか因縁つけて来たら、「ンダトコラボケコロスゾ(高速詠唱)」が即座に解き放てる状態。


こーゆーのが渋谷道玄坂とか新宿靖国通りとか電車の乗り降りとか駅構内とかで歩行中に常に繰り広げられてるわけさ。んで人多いから上の判断を多分みんな瞬時に毎0.2秒以内とかに次々と行なってるわけ。


で、実際は「ッテーな!」も言われないし、「ンダトコラボケコロスゾ」も詠唱しない。95パーくらいの確率で。仮に肩がぶつかったとしても振り返りもせず互いにただ脳内バトルで勝手に勝利してそのまままた一歩一歩会社に向かって歩くわけ。


修学旅行中に他校の生徒と集団ですれ違う時に「ア、テメドコチューダヨ?」「ダコラメンチキッテンジャネーゾ」っていう皆が思春期に絶対やったムダなやつあるじゃん?


あれが、1対1で、手を出さず、言葉にすら出さず、無言のまま1秒以内に認識の世界の中だけで始まって終わっていく…そんな感じだろうか。


で、また1秒後には目の前まで迫り来ているリーマンとそれをするわけ。それを延々と繰り広げながらオフィスに辿り着くわけ。


で、オフィスに辿り着いたらそこはもう知り合いしかいない。立場の世界。理性の世界。日常の世界。社会人の世界。動物の世界は終わりになる。


馬鹿みたいでしょ?でも都内って常にこーなってる気がすんだよな。スーツ着たどっかの部長やってそーな貫禄ある中年オッサンとかも多分みんな毎日こんなことやってるよ。


たまーにこれが5パーくらいの確率で確変入るといい歳したリーマン同士でドロップキックし合うイベ発生したりして電車遅れるんだよな。


だから「筋トレは最強のソリューションである」って本が売れんだよ。

殺人ジジイは上級国民

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自分には一歳と三歳の娘がいる。

だから、先日起きた三歳と三十歳の母子が死んだ池袋の車暴走事故というかもはや事件は本当に腸が煮えくり返るぐらいにムカついた。

 

しかも犯人のクソジジイは、旧通産相の元官僚で天下り先企業の副社長で瑞宝重光章を受章していたとかいう紛れもない上級国民だから、未だ逮捕もされずにマスゴミのニュースでも容疑者ではなく「さん」付けとかいう。

 

元アナウンサーのチノパンも昔、人を一人轢き殺したけど父親が市議会議員+自分の旦那が元首相の福田の孫とかいうウルトラ上級国民だったから結局逮捕すらされずに罰金100万納付して終わったけど、同じじゃねコレ。

 

もはや上級国民にとって自動車免許は殺しのライセンスだけど、個人的には今回のジジイは過去どれだけ立派な人間だったとしてもせめて一族郎党皆殺しの罰でも与えないとダメだと思う。だって87歳だぜ?こんなあと2~3年生きるかどうかすら分からない奴を(まずまともに裁かれないと思うけど)ただ罰したり死刑にしたところでって話だ。そもそも量刑が決まる前に裁判中に勝手に死ぬだろ。こんなもんそのジジイの目の前で今すぐそいつの子供、孫、嫁を順番に殺していく様を見せつけて、自分が一体どれだけのことをしでかしたのか嫌というほど自覚させた上で、自分が生まれてきたことを死ぬほど後悔させた上で、最後にジジイも散々苦しめて殺すぐらいのことしないと、全然やったことの採算取れないでしょ。被害者側からしたら故意とか故意じゃないとかそんなのどうだっていいから。何の罪も責任もない10人を轢いて3歳の女の子と若い母親殺したっつー結果論だから。秋葉原の加藤と同レベル。そこまでしても、今回の事件で殺された母子遺族の旦那や家族の処罰感情には全然及ばないとすら思う。それでも、殺さないよりはまだいいだろう。遥かに。

 

そこまでやった上で、その様を全国民に実況生中継でもしたら一気に超高齢ジジババの免許返上率上がるんじゃね?その一回だけで。きっとそれでもジジイババアはボケてたら自分から返納しないだろうけど、そこまでやれば子供とか孫が文字通り死ぬほど必死で免許も車も取り上げるでしょ。

 

つい数年前もあったでしょ?80オーバーのボケまくったクソジジイが車で女子校生二人を轢き殺した事件とか。逮捕されて取り調べ中でも自分が何したか全然分かってない状態だったとかいう。コンビニに突っ込むのも最早数えきれないぐらい報道されてるし。もし自分が娘と歩いている時に轢き殺されたらたまったもんじゃねよ。マジで。車なんて毎日毎日何百台も擦れ違うし、全然他人事じゃないわ。

 

だがしかし政治的にメイン投票源になってるジジイババアが嫌がるような法案は、どんな些細なものでも通すわけがないので、これからも80歳超えたジジイババアによる前途有望な若者や幼児への連続殺人は止まらないどころか確実に急増するわな。

 

どうする?もし、自分が、自分の嫁が、自分の子供が、自分の孫が、自分の親が、赤の他人のボケ老人にある日突然グチャグチャに轢き殺されて挙句の果てに「あれ~?どうしてこんなことになったんだろ~…」とか呑気に呟かれたら?一生懸命に生きて、幸せな家庭を築いたのに、子供の幸せを心から願ったのに、それらをそんなクソジジイやクソババアに一瞬で全部奪われたら。

 

俺は大学で四年間法学部だったし、大学在学中に法律系の専門学校にもダブルスクールで一年以上通ってたけど、それでも、ここまでやった事件の加害者は一族郎党皆殺しぐらいにすべきだと思ってしまう。

 

けれど、当然ながらその想いは永遠に叶うことはない。だから、世の中では「善悪の屑」とか「外道の歌」みたいな漫画が一時期でもやたら流行ったりする。心の中で似たようなことを考えている人が世の中には沢山いるから。

 

法律は感情論じゃないんですよ。ええ、痛いほどよく知ってます。

 

ちなみに、死刑制度反対をずっと掲げてきた元日弁連副会長で人権派の岡村弁護士は逆恨みで自分の奥さん殺されたら、クルっと掌返しで死刑超賛成派になりましたとさ。

 

自分が無関係な時にいくら普段から取り繕って綺麗ごと抜かしてても、いざ自分が被害者になったら人間なんて所詮こんなもんっていうイイ例やね。