冷凍都市のくらし、アイツ姿くらまし

独立して5年経った個人事業主のあれこれ

赤の他人のことをどこまで考えられるか

自粛せずに外出してコロナにかかった奴は「自分のことしか考えてないバカ」として世間や地域から凄く叩かれていて、それは至極当然というか正論なんだけど、じゃあ実際コロナが発生する前の世界で常日頃から一体どれだけの人が、どのぐらい赤の他人のことを考えられていたのか?というと疑問が湧くよね。

 

例えば、スーパーで買い物をしていて自分が並んでいるレジだけやたら遅い。他のレジはとっくに何人も通過しているのに、自分の列だけ何分経っても動かない。自分は今とても急いでいるのに、このままじゃ自分が買い物を終えるまで10分以上他の列と比べて待たなければならない、だとか。

 

念願の彼女とのデートの前にお金を引き出そうとATMに並んでいたら自分の前のババアの操作があまりにも遅くて、それこそ10分以上一人で独占して「あれぇ?」とか「やだぁ」とか言ってると。このままじゃ自分は彼女との待ち合わせに遅刻するかもしれない。だとか。

 

そういう場面に遭遇すると、まあムカつくじゃないですか。「なんだコイツ、トロくさ過ぎだろ死ねや」ってなるじゃないですか普通。その相手が知り合いだったり友達だったりするとまた話は全然違ったりするかもしれないけど、もう二度と関わることもない赤の他人が相手となると「はぁ?」ってなるじゃないですか、大抵の場合は。

 

レジをしている店員は新人で、まだいっぱいいっぱいかもしれない。

ATMのババアは、目がもう殆ど見えなくて操作が非常にしづらいのかもしれない。

 

赤の他人といえど、まあ各々こういう複雑な事情や背景があったりするわけだけど、そんなの平常時の俺らからすれば、知ったこっちゃないわけじゃないですか?いいから早くしろやカス!とかってイライラしちゃうわけじゃないですか?

 

で、例えば、若者はコロナに感染したとしても死ぬのは0.1%くらいですよーって、とある若者は認識していたとして、そいつが地方から出てきた独り暮らしでさ、「赤の他人なんか知ったこっちゃねーわ」って平然と今も出掛けてたとして、それはある程度仕方ないんじゃねーの?って気もしてきてしまう。

 

実際オレは3月20日くらいからオフィスすら行かず、そこから一ヵ月以上の間、コンビニかスーパーに週一で行くか行かないかぐらいでそれ以外全く外出してないんだけど、それってやっぱり一緒に住んでいる嫁・子供に感染させちゃいけない!っていう至極利己的・自分本位な発想のもと行われているわけであって。

 

正直、赤の他人の為に外出を控えているっていう気持ちは微塵もないです。

 

もし俺が今も独り身・一人暮らしだったら「どーでもいいわー」って割と気楽に外に出かけていた可能性は非常に高い。

 

だって、冒頭でも書いた通り、普段は自分の都合に比べて赤の他人ってどうでもいいじゃん。大切にしたり気を遣ったりするのって大抵の場合は、相手のことを友人や知り合いや恋人だとか、「自分と何らかの関わりがある人」って認知している場合に限ってだよね。

 

朝の満員電車でわざとかわざとじゃないかに関わらず、ぶつかってきた奴や足を踏んできた奴に対して不愉快な思いをしてリーマン同士がよく喧嘩してたりするのも、結局その相手のことを「自分の大切な友人や恋人と同じ一人の血の通った人間」として認識してないからこそ起こるわけじゃないですか?

 

昔なんかの記事の時にも書いたけど、オフィスに辿り着くまではそこは動物の世界で、擦れ違う「名無しの人々」って大抵皆にとっては「RPGの町人」以下の存在じゃないですか。オフィスに着いて、自分と対面する奴が「名前」のある〇〇さんとか□□先輩とか△△上司とかになって、ようやくその相手を「人間」として捉えるじゃないですか?

 

そういう人達に対してだけ、自分と同じように様々な紆余曲折を経て、何十年もの人生を歩んできた一つの命として認識したり、実感を抱いたりするわけじゃないですか。

 

そうじゃない電車の中で自分の目の前で吊革握って無駄に「フーフー」とか吐息漏らしてるオッサンとかって、実際そこらの「石ころ」と同じじゃないですか。どうでもいい存在。なんなら臭かったり邪魔だったりして、むしろウザイだけの存在。

 

仮にその石コロごときが自分の靴を思いっきり踏んだりなんかしてきたら、そりゃもう普通の人は怒るよね。いやいや、なにゴミが一丁前にボクワタシに干渉してきてるわけ?って。そういう認識同士のぶつかり合いが満員電車でのリーマンの喧嘩に繋がるんじゃないかと思うんだけど。

 

――っていう日常を、おそらく沢山の人達がこれまでの人生で過ごしてきた中で、心の底から、そんな赤の他人の為に「自粛しなきゃ」なんて思ってる人ってまあ少ないと思うんですよ、個人的には。

 

「自分がかかりたくない」「自分のごく近しい人に迷惑をかけたくない」まあ実際の処ほとんどこれじゃないですか。

 

だからと言って、例えば激混みスーパーで買い物している時の自分にとって歩行の邪魔になるゴミ以下の存在でしかない「赤の他人達」をわざわざ押しのけてやろうみたいに、能動的に害を与えよう・排除しようとかは普通思わないじゃないですか。

 

ただ、それが消極的なものになるとガラっと変わる人が多いと思うんだよね。コロナが流行る前の去年の段階で、自分は今37.2℃の微熱が出ていて外出したらそんな「赤の他人達」にこのひきはじめの風邪を感染してしまうかもしれない!なんて考えてる奴、どこにもいなかったでしょ?

 

包丁で刺し殺したり、突然殴ったりするような能動的な害意・敵意までは全く無いにしても、自分の咳を相手にぶつけたり風邪を感染してしまっても何とも思わないくらいには、大抵の人は「赤の他人」に対して無関心だし、自粛してない奴の気持ちってそれの延長線でしかないんじゃないかと思う。

 

何が言いたいのかと言うと、「赤の他人の為に」「世間様の為に」という理由付けは、実態としては、本音としては、おそらく大抵の人にとってこれまでの人生を振り返ってみてほぼ意味がないと思うんだけど、どうなんでしょう?

 

自分が急いでる時にトロトロ目の前を歩く赤の他人とかに何があっても全くイライラせず、その目の前の赤の他人が抱えているであろう個別的な事情を都度ある程度想像し、理解してニコニコ受け入れてあげられるような菩薩のような度量ある人間に限っては、その理由付けは正しいんじゃないかなとは思うんだけど。

 

逆に、もし上述したような「赤の他人に対して気遣い・思いやりを持てないことは異常である、それは道徳教育の敗北である」という意見が、世間一般的にまかり通ってしまうのだとすれば。

 

電車の中で20代の若く美人で少しだけ潔癖気味な女性がいたとして、その女性の目の前、まさに30センチぐらいの距離で、アトピー重度の50歳ぐらいのホームレスっぽい恰好をした清潔感の欠片もないオッサンが真っ赤になった皮膚をボリボリ掻きむしり、頭のフケや大量の皮膚の皮が自分に向かって飛び散りまくっているという状況の中で、その女性がそのオッサンを回避するように動いたりハンカチで口周りを覆ったりする行為というのは、赤の他人であるそのオッサンの抱える背景や苦しみを一切理解していないばかりか、オッサンの自尊心をひどく傷つける可能性がある愚かなものであって、極端に見れば差別主義者とも受け取られる程の自分本位で思いやりのない、非常に不道徳的なものである。

 

という解釈が可能になるんじゃないかと思うんですが、どうなんでしょう。

 

例えばオレなら、オレ今現にアレルギーのせいかアトピーっぽいのかなり出てステロイド軟膏を腹とか腕に結構塗ってんだけど、それでもやっぱ俺がこの20代の女性だったら普通にそんなオッサン避けまくるし距離取るし何なら車両変えるわ。終わり。