冷凍都市のくらし、アイツ姿くらまし

独立して5年経った個人事業主のあれこれ

不満があれば向上し、満足すれば停滞する

人生って何なん?

 

唐突だけど、よくそう思う。

 

例えば、今の自分に理想とするような稼ぎがなければ、努力して今より稼ごうとする。

 

だけど、もし現状に心から満足していたら、維持で終わる。

 

厳密には、時代や環境の変化に対応する為に維持するにもそれなりの努力は必要だったりするが、それだけでは稼げる額は基本的に維持で終わるだろう。

 

不満があるということは、満たされていないということ。心の底から幸せだと思っていないということだ。その状態が何千日間も続くのは、結構キツいものがある。但し、その不満を解消する為に、必然動き続け、様々な経験値が蓄積していくことなる。

 

だが、いつまで経っても心の底から幸せとは思えない。どこかに不満が燻り続ける。

 

反対に、満足しているということは、満たされているということ。心の底から今のままでいいと思っているということ。つまり、幸せな状態だ。但し、満たされ幸せなのだから、今と違った何かをする必要は一切ない。必然、動きは止まる。

 

だが、いつまで経っても心の底から幸せだと思える。心の平穏が保てる。

 

一体、どちらがいいのか?

 

と、ここまで書いて思う。

 

人間は、幸せな状態で停滞し続けることが、いつの日か幸せではなくなるのだと。

 

繰り返しの日々に、変化のない日々に、飽きてしまうのだ、と。

 

つまり、一定期間以上の満足や幸福は、そもそもありえないんじゃないかと。

 

だから、不満から始まり、その不満を解消する為に動き、満足し、幸せを手に入れて、暫くすればその幸せが続くこと自体に飽きて、不満を覚え、またその不満を解消する為に動く。

 

その繰り返しなのではないか、と。

 

生まれながらにして、走り続けることが前提でデザインされているのではないか。

 

何とも強欲というか、何とも罪深いというか。何とも燃費が悪いというか。

 

逆にこのサイクルから抜け出せたら、それはもう悟りだろう。涅槃だろう。

 

1000年以上前の人間も、同じようなことを考えて、それを何とか乗り越えようと出家したり修行していたのだと思うと、なかなかに感慨深い。

 

気が遠くなるような年月を越えて、どんなに科学や文化が発達しても、人間の本質というのは全然変わらないんだなぁとしみじみ思う。

 

我々には常に短期的な目標が、欲望が必要なのだ。

 

衣食住を揃え、性欲を発露し、惰眠を貪り、社会的な繋がりを保つことをスタートラインとして、常にそれ以外の、何か新しい強い欲望が、目標が。

 

その目標があること自体が、ある意味、幸せなのではないだろうか。

 

その目標が見つからないことは、ある意味、不幸なことではないだろうか。

 

今、俺は自分の生活に一度満足しきって、そして飽きた。

 

そして飽きたのに、次の欲望や目標が一向に見つからない。

 

無暗やたらにその欲望や目標を求めて彷徨う日々は、さながら真っ暗な海の中で当てもなくただただ漂う一隻のヨットのように、孤独で、果てもなく不安になるものだ。

 

明日生きれるかどうかも分からないアフリカの飢餓難民に比べて、いかに自分が幸せか。恵まれているか。そういう相対的な幸福論を、10年以上前から何度繰り返し自問自答し続けていても、それを心の芯に宿し続けることは出来ない。

 

気付けばもう数年間、もがき苦しんでいるような気がする。