冷凍都市のくらし、アイツ姿くらまし

独立して5年経った個人事業主のあれこれ

親への感謝を押し付けてくる奴は全員死ね

俺には子供が二人いるが、勝手に作った。

 

間違いなく、俺と嫁の判断で、至極勝手に、誰から頼まれたわけでもなく、自らの都合で、自らの希望で。

 

そして、これから子供にどれだけ時間とお金をかけたとしても、それも同じく全て自分の判断で行ったことだ。

 

それは、1ミリの間違いもなく、全て俺ないし嫁のエゴだ。

 

そりゃ自分の子供に「この家に産んでくれてありがとう、幸せだよ」なんて言われたら親としては嬉しい。

 

ただ、その「感謝」を子供に当たり前のように押し付けるのは100%、絶対に、何があっても、間違いなく、どうかしてるほどに、間違っていると断言できる。

 

当たり前のようにどころか、ほんの僅かにでも子供に忖度させようとするのすら、絶対間違っている。

 

そもそも、感謝される為に産んでない。育ててない。

 

それに、生きることはそんなに素晴らしいことか?

 

人一人が天寿を全うするのがどれだけ大変か。

 

鬼塚ちひろが月光で十数年前に歌った「I am God`s child この腐敗した世界に堕とされた」にあるように、普通に人生はキツいだろ。

 

どんなにイヤでも生きていく為に勉強したり、働いたり、金を稼ぐことを半ば強制され、その労働の辛さやパワハラに体や精神は悲鳴を上げ、ことあるごとに孤独に怯え、人に縋りつけば人間関係に苦しみ、容姿や性格やコンプレックスに悩み、老いや病気や介護に苦しみ、運が悪ければ老害の運転する車に突っ込まれたり強盗や強姦魔に殺されたり、意識不明の重体にされたりで、それでも死にたくないから何とか生きているって人もいっぱいいるだろう。夢?希望?そんなもんはたまたまそれを見れる立場にある人の為だけにある言葉だ。

 

こんなこと誰しもがとっくに分かり切ってることだが、全員が全員インスタで世界に向けて毎日自慢したいようなことで溢れる人生を歩んでると思ったら大間違いだ。

 

誰にも注目されない深夜の土木工事の現場でライトを振ってるオッサンや、コンビニや牛丼屋でワンオペで深夜に働いてるオッサンや、一人公園のベンチで佇む警備員の制服を着たオッサンの項垂れた顔や、アマゾンの倉庫で酷使され病気になっても救急車さえ呼ばれずそのまま徐々に死んでいくオッサンの顔を見たことがあるか?

 

そんな彼らみたいな人間全員が、億万長者のアーティストやモデルや芸能人や各界の成功者のように一見でもいいからキラキラした生活を送れるだろうか。送れるわけがない。椅子の数は決まっている。そんな、運と競争とサバイバルの弱肉強食の世界に、子供は親のエゴで勝手に産み落とされたのだ。

 

それどころか、日本の現状と未来を見ろ。

 

社会保障費が30年前と比べて爆上がりし、ありとあらゆる税金が上がり、可処分所得は何十万円も減り、0%だった消費税はついに10%にまで達し、年金の支給開始年齢や支給金額はどんどん遅れたり減っていこうとしているし、少子高齢化が極まって2050年には国民の約2.5人に一人は65歳以上の高齢者となり、その数およそ4000万人で、今現在の時点で30~40代の貯蓄0世帯が約30%。シングルマザーの貧困率50%越え。

 

こんな状況の国に子供を勝手に産んでおいて、その子供に向かって親へ感謝しろだ?

 

馬鹿も休み休み言え。

 

産んだ後で何か一つでも文句言うくらいなら産むな。以上。

 

世の中、自分で勝手にやった癖に「~~してあげたんだから」等と見返りを求めたり押し付ける人間が多すぎる。知ったこっちゃねえよ、誰も頼んでねえから。

 

キャバ嬢に勝手に100万円貢いどきながら「こんなに貢いんであげんだから付き合ってよ~」とか言って断られたら不機嫌になるオッサンって死ぬ程キモいだろ?それと同じだ。

 

子供に「生まれてきてくれありがとう」と親から感謝はすれど、「親に感謝しろ」なんて押し付けるのは絶対に間違っている。

 

俺の人生の中でこれまでに「親に感謝しろよ」とかしたり顔で言ってきた全てのバカ共に声を大にして言いたい。

 

何が親になったら分かるよ、だ。バーカ。

 

子供にどんだけ金かけようが、仕事休んで子供にどれだけ時間使って一緒に遊ぼうが、誰かから感謝される為にやってねぇよ。そんなもんは全部親であるオレのエゴで、オレがしたいからしてんだよ。

 

逆だ。テメーらみたいな押し付けクズヤローこそ親になる資格なんかねーよ。

 

っていうのが、子供を持った親としての一つの感想。

他人は何があっても絶対に裏切る

悲しい話だが、人は裏切る。

 

余裕で裏切る。

 

平然と裏切る。

 

笑いながら裏切る。

 

当たり前のように裏切る。

 

絶対に裏切る。

 

と、短いながらも自分の人生の中で経験を積んで理解した。

 

例え、こちらが相手のことを一切悪く思っていなくても。

むしろ、大切に思っていたとしても。

 

人は裏切るのだ。

 

例えば、ある人にとって、どんなに自慢の妻でも、実は旦那デスノートとかに日々隠れて「旦那死ね」って書き込みまくってたとか本当によくある話だと思う。

 

他にも世間に蔓延りまくる不倫とか浮気も最たるものだ。

 

素敵な笑顔の裏で他人に陰口・悪評をバラまいていた、なんてのも日常茶飯事だ。

 

金の為に、性欲の為に、立場の為に、ストレス発散の為に、人は人を裏切り続ける。

 

そういう意味では、家族でさえも、所詮は他人である。

 

そういう相手(主に過去の友人達)に面と向かってブチギレ&ガチギレを散々かましてきた俺は、結局悪者にされて周囲から人がいなくなることを何度も経験した。

 

結局そうなると、人にもう期待しなくなるしかない。

 

どんなに洗練されたジェントルマンだろうが、どんなに貞淑な貴婦人だろうが、根っこはとんでもない裏切り者なんだ、と想定しておくしかない。

 

どんなに気が合った人間も、どんなに調子のいい笑顔で笑う人間も、何かあれば即座に自分を裏切ると考えておいて何一つ損はない。

 

そして、露見する裏切りなんて序の口で、露見しない裏切りこそが最も性質が悪いのだ。

 

「心の底から信頼しあえる関係」というのは基本的に幻想でしかない。

 

30年一緒にいようが、50年一緒にいようが、小さな裏切りが一つでもあれば、積み上げた信頼は全て崩れていくし、再構築をするまでに要する時間は、軽く元の数倍は必要となる。

 

ただ、自分が裏切ってもいいとは思わない。

 

出来る限り、潔白清廉であろうとは思う。

 

人に対して、お互い知っている他人の悪口を一切言わない様にするとか、他人から人や物を掠め取らないとか、人を騙さない嘘を吐かないとか、そういう至極当たり前の事ね。

 

そして、他人に対しては、一切期待しない方がいいんだと学んだ。

 

個人的には、よくある「オレが〇〇してあげたんだからお前も〇〇しろよ」みたいな能動性の強要は、するのもされるのも押し付けがましくて凄くイヤなのだが、「他人が嫌がることはしない」みたいな受動的なものは、普遍の民度や道徳として当然のように人間全員に備わっていて欲しいのだが、そうもいかない。

 

自分はそうしているのだから、相手もそうしてくれるはずだと思うと、裏切られた時の怒りとダメージがとてつもない。

 

そもそも、期待していなくとも、自分は相手を傷つけないように努力しているのに、相手は自分を平然と傷つけるというのは、あまりにも不平等で一方的な状況なのだが。

 

そういう状況にならないようにする為には、事前に、相手が裏切ったら相手に対して何らかのデメリットが発生する仕組みを構築しておくしかない。

 

仕組みが構築できないような関係なら、もう諦めるしかない。

 

そういう場合、裏切られた時に怒りに任せて恫喝しまくったり報復しまくったりすると、その凶暴性が周囲に流布されてしまうことも何度も経験してよく分かった。

 

よくそういう時は次の裏切り者を出さない為に徹底的な報復が大事とか言うけどさ、それってその後も周囲の人間がそう簡単に変わらない会社組織における、しかも権力者側とかに限っての話だと思うんだよね。

 

対等かつ烏合の衆の友達コミュニティとかの場合、そういう徹底したところを出したとしても「あ、こいつのことは裏切らないようにしよう」なんてならないで逆に「うわドン引きだわ」で一人また一人と離れて終わりだからな。

 

だから、そうなりたくなかったら、裏切った相手を静かに切るしかないのだろう。

 

なんで常に裏切らない側が裏切る側の為にこんなに手間暇かけて事前に色々考えたり備えてなけりゃいけねーんだよクソボケ!とも思うが、仕方ないんだよなぁ。

 

世の中には自分のことしか考えない裏切りクズ野郎が多すぎる。

 

そして、こういうことを、ゆくゆくはどうやって子供に伝えていけばいいのか悩み中。

昔からの友達がほぼいなくなった理由

個人事業主になり、結婚し、子供が生まれ、環境が変わったから。

 

それも勿論あるが、それ以上に決定的かつ明白な理由がある。

 

それは、間違いなく俺がキレたからだ。

 

過去にマジギレしたことがある奴は、ほぼ全員友達からいなくなった。

 

ついでに、マジギレしてる時に周囲にたまたまいた他の友達もいなくなった。

 

意外にマジギレして喧嘩になったことはほとんどない。

 

大抵、その場は相手に平身低頭で謝られ、それで終わる。

 

だが、もう二度と友達ではなくなる。それだけだ。

 

そう、この年はこのコミュニティで、あの年はあのコミュニティで、といった具合に、あらゆるコミュニティでマジギレし続けた結果、あらゆる友達がいなくなっていったのだ。

 

ちなみに、あくまで俺の一方的な意見だが、俺は理不尽にキレたことはほぼない。

 

何かしらの相手からの能動的なアクションを受けて、それに対してキレているだけだ。

 

ついでに、俺は友人関係を築く際、極力相手に失礼にならないように心掛けている。

 

言葉は常に選ぶし、自慢はしないし、何なら自分の嫁が妊娠した時も「もしそれをいま友人らに報告して、後のち万が一流産などになった場合、その結果もいずれ聞かれれば友人らに報告しなければならないだろう。もしそうなったら、それを聞かされた相手も反応に大変困るだろうし、空気も悪くなってしまうかもしれない。だからちゃんと何事もなく無事に生まれてから子供が生まれたことを事後報告しよう」と思ったし、実際そうした。

 

また、「事後報告をする際も、相手が実は裏では不妊治療などで苦しんでいないか?子供が生まれたという話を聞いて、純粋にマウンティングをされてると相手が感じてしまわないか?」という所まで当然のように気を回していた。

 

だって、相手の状況を知らないで自分のことを喜々として話すのは無神経だろう?俺がもし不妊に悩んでいる立場だったら、友達から嬉しそうに子供を授かった話などあまり聞きたくないと思うだろうから。

 

という具合に、俺は友達に対して、常に「もし相手が自分だったら」という想像を働かせて付き合いをしてきたつもりだし、コミュニケーションする際も出来る限り相手が不快にならないように、声のトーンや抑揚、間などに人一倍気を遣ってきたつもりだ。

 

俺は自称HSPなので、面と向かった相手の気持ちに敏感になりやすいのだ。

 

が、それらを鼻で嘲笑うかのように図太いというか、他人のことを全く考えない奴が周囲に何人かいたのだ。

 

■以下、一例

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・承認欲求の塊で散々聞いてもいない自慢話を周りにする癖に、人から自慢話をされると露骨にイライラしたりふて腐れたりする奴。

 

・集団の中で自分が落ち込んでいる時に周りから散々気を遣われたことがあるのに、自分は他人が落ち込んでいようが一切気にも留めない奴。

 

・男女が複数人入り混じったコミュニティで、特定の女と仲良くなっている様子をわざわざ周囲に匂わせて変な優越感に浸ろうとする奴。

 

・飲み会でイジリの延長で誰かをこづいたり、首を締めたりする奴。

 

・ほぼ初対面なのに盛り上がる為だけに、その場にいる誰か、いない誰かをゲラゲラ笑いながら貶める奴。

 

・自分で宴会を企画しておきながら人に毎回予約を丸投げして労いすら全くしない奴。

 

・自分は何人か人を集める時に相手をえり好みするのに、いざ自分が他の誰かの集まりに呼ばれないと仲間外れにされたことが耐えられず露骨にキレる奴。

 

・自分のコミュニティ内評価や意中の相手からの評価を上げる為に恣意的に特定の誰かの悪評を捏造して秘密裏にバラまく奴。

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まあ色々なコミュニティで色々な奴がいたんだが、大体こういう奴ら(大抵の場合は上記要素の複合型が多い)に対して、俺は最終的には毎回ブチギレてきた。

 

そういう奴らにもイイ所や一緒にいて楽しい面もあったのだが、やっぱりネガティブな部分に長年晒され続け、その中で一際あまりにも酷い態度を取られたりすると、我慢の限界を越えてしまい、面と向かってその場で大声で相手の非を責め立てブチギレてしまう。もしくはソイツのすぐ真横の壁を思いっきり殴りつけたり、物をブン投げたりしながら大声でブチギレる。毎回そういう感じだった。

 

で、そのブチギレた相手以外にも周囲には、俺が何もネガティブな感想を抱かない普通の人達もいたりするのだが、激昂し、般若の如くブチギレた俺を見て大体ドン引きしてしまい、あるいは、ブチギレられた奴が、その場に周囲にいた人間・いなかった人間関わらず「キレたアイツがいかに悪いか」というのを後々捻じ曲げて伝えていくのだ。

 

で、俺は、その出来事について過ぎた後に周囲に話すことは、女々しいし情けないと思っているのでイチイチそれに対して反論や弁明を一切しないでいた。

 

なんだか物凄く損な性格だと我ながら思うが、そういうブチギレ対象の奴に対して、事前に周囲の人間達に根回しして排除するというのは、凄くイヤだったので俺はしたことがない。

 

そして、俺がキレた場面を目の当たりにして、あるいはキレられた当事者から捏造話を聞いて俺から人が離れていくのだとしたら、そいつらは所詮その程度の奴らだったから別に縁が切れてもいいやとも思っていたのだ。

 

そうこうしていたら本当に縁切れまくって、気付けば5年間くらい孤独になってて草。

 

きっと、中にはブチギレた俺に対して「よく言ってくれた!」と思ってくれた人も少数いたかもしれないが、多分オレのキレ方が例外なく酷過ぎるので、それ以上に「うわこいつヤベー奴じゃんもう二度と関わりたくない」と思われてしまったんだろう。

 

ちなみに、俺がキレるような人間は物凄く孤独体勢が低く、常に誰かしらと群れていないとダメな雑魚イキリタイプが大変多かったので、表面上だけ見るときっと今も充実してそうに見えるだろう。(いずれ周囲から見放されることを俺は切に願っているが)

 

だけど、キレたことは一度も後悔したことがない。

 

という自分の性格上、もうこういう奴らとの関わり合いはイヤなので、気付けば、新しい人間関係を築こうとも中々思えなくなってきた(経験上、10人いればその中に1~2人ぐらいはこういうブチギレ要素を持った奴らが出てくる)し、孤独に慣れてしまったことでより一層オレの沸点は低くなっていっているような気がする。

 

・俺と相手とで同じようなレベルで思いやりを持ち合える。

・他人の言葉に惑わされずに自分の目で見て耳で聞いて調べて物事を判断ができる。

・似たような話題でそこそこ盛り上がれる。

 

上記の点さえ合えば、新たな友達と長い間仲良くやれるのかもしれないが、そんな人がいるのか甚だ疑問だ。

陰キャは嫉妬パワーでモチベを上げろ

一人でひたすら作業する自営業かつ友達がほぼいなくなったので、ここ4~5年ほど人と比べる生活を全然してこなかった。

 

いちいち人と比べないので、それが原因で落ち込むことはない。

 

常に自分はオンリーワンな自分なのだ。

 

さて、趣味らしい趣味もほぼ全てなくなり、かつ、ADHDの疑いが非常に強い俺のような先延ばし癖の塊のような陰キャナマケモノ野郎がそういう生活を送っているとどうなるか。

 

結論:引きこもりニートのような性格・生活環境になる。

 

ただでさえ希薄だった競争心とかがガチのマジで皆無になるので怠惰を極める。

 

人と関わらないので嫌な思いを一切しないが、その分、新しい出会いを求めたり、新しいことをする気が全くなくなる。(新しい人間関係の構築に対して非常に億劫かつ恐怖を覚えるようになる)

 

そして、刺激が全くないので、数年間の思い出がほぼなくなる。

 

約3年前の30歳になった瞬間から今タイムスリップしてきたんだよ!と言われたら「あ、そっかー」と2秒で納得してしまうぐらいに、子供関連以外には何も起きなかった。

 

なんかこのままじゃ流石にヤバすぎると思ったので、昔のムカつく元・友達とかムカつく元・知り合いの現況をネットで5年ぶりに確認してみた。

 

どいつもこいつも割とお気楽に楽しそうな毎日を送っていたり、経営者としてそれなりに成功したりしていた。(大体は今も結婚してなくて自由を全力で謳歌している連中)

 

そして、久々にムカついた。

 

当たり前だ。ムカつく奴らの現状確認なのだから、落ちぶれまくってホームレス化していたりブラック企業落ちして病みまくっていたり、あわよくば自殺していたりすることを全力で期待しまくりながら検索したのだ。

 

しかしながら、当然のことながらそんなことはなかった。

 

期待に添わない結果にムカついた瞬間、ぼーっとしていた意識がまるで眠眠打破&レッドブルを数本一気飲みしたかのように覚醒した。

 

それは、嫉妬からくる怒りである。「なんでこんなゴミ共がそれなりに楽しそうにしてるんじゃ!」という理不尽極まりない怒り。

 

理不尽極まりない怒りであることは重々自覚しているが、逆に俺から言わせれば「理不尽極まりないこの現実世界に対しての純粋すぎるまでの怒り」である。

 

頼むっ!こいつら今すぐ10万に1人が疾患するような難病・奇病にかかって、今までの生活全部崩壊して死ぬまで苦しんでくれッ!と心から願うドン引き仕様の怒りだ。

 

そして、その怒りがそのまま圧倒的な仕事への熱量に変わっていった。

 

やる気がしなさすぎて10分毎にCODモバイルをボーっとやりながら「んほぉ~30キルたまんねぇ~」とか余裕こいて言っていたさっきまでがウソのようだ。

 

クソ芋角待ち野郎に数回キルされて顔真っ赤になりながら「オラァッ!かかってこいやあああああアッッ!ぶち殺してやんよおぉぉぉぉッ!!」と絶叫しながら凸る。

 

そんな勢いで次々に仕事が消化されていく。

 

ここ5年ほど常に頭に霧がかかったようにフワフワぼーっとしていたが、嫉妬って物凄いパワーだ。完全にドラゴンの紋章、あるいはスーパーサイヤ人、あるいはゾーン。

 

基本的にSNSって一切やらないし見ようとも思わないんだけど、極たまには敢えて自らブチギレさせていくスタイルもいいかもしんないね。

 

っていうか、今もリーマンだったら常に周りと比較してて、わざわざこんなことしなくても俺も多少ヤル気だせてたのかなぁ。

 

自由気儘すぎるフリーランスは、怠惰・堕落への誘惑がとてつもない。

ネットに顔を晒すことはAV出演と同義だった

twitterfacebook、インスタで国民誰しもが、自ら情報を発信するようになって久しい。

 

それどころかyoutube、ニコ生、SHOWROOMLINE LIVE、ふわっち等では誰でも自分を映した動画をまるで芸能人のように生配信できる時代である。

 

自らの顔や個人情報を積極的に発信していき、それを直接的にしろ間接的にしろビジネスに繋げていくという手法は、現在では王道であり、もはや常識にさえなりつつある。

 

しかしながら、その風潮にどこか眉を顰めざるを得ない年代の人間もいる。

 

多分、今の30代から上の世代だ。

 

というのも、俺が今30代で、「もし今、これから確実に儲かったり、とても素敵な新たな人間関係を築けたり、可愛い女の子にモテるとしたらインターネット上で自分の顔や個人情報を晒しますか?」と聞かれたとしても、絶対にイヤだと思うからだ。

 

自分がそうだから皆がそうとは勿論言えないので、ただの予測でしかないが。

 

今の30代が10代~20代前半くらいの頃は、それこそネット上で一般人が炎上しまくっていた。

 

そこらの学生や社会人が2chで特定され、晒され、釣られ、コラ画像を大量に作られ、mixiの魚拓が貼られ、リベンジポルノが発生し、ウィニーで流出したエロ画像・動画が拡散され、ネット上で祭がよく起きた。

 

まあ今も勿論そういうことは毎日沢山起きているのだが、その頃はようやくニコニコ動画がまだ発足2~3年目で一部実況配信者や歌ってみた系の連中が持て囃されるようになっていたぐらいで、その数もそこまで多くなく、まだ今のヒカキンのような億万長者やとてつもない成功者というのも、ほぼいなかった。

 

つまり、ネットに顔を晒すということは、メリットよりもデメリットの方が遥かに大きかった。

 

当時ひたすらROMっていて、ありとあらゆる人間達がネット住民たちのオモチャとして使い捨てられていく様を見続けた(ある意味傍観者として楽しんでいた)自分は、誰に教えられるでもなくこう思った。

 

「ああ、ネットに個人情報なんて何があっても晒すもんじゃないな」と。

 

それはもう禁忌に近かった。それこそ自分がいきなりAVに出演して自らのケツの穴を広げて日本全国に放送されてしまうような、そういう「この世の終わり感」があった。

 

その頃の自分にとって、ネットに顔はおろか個人情報を絶対に晒さないということは、もはや「帰宅したらちゃんと家の鍵を閉める」ぐらいの超常識となっていた。

 

ところが、今は冒頭の通り、ネットで個人情報を晒すことは、もはや当たり前となっている。

 

そこらの小中学生達が放課後趣味で配信をするくらいに若い世代にとっては身近な存在になっているし、何かしらでバズって、自らをブランディング化できる人間だけが、より儲かり、より良い循環を生み出し、高みに昇っていける、そういう時代だ。

 

だが、そこに自分はどうしても抵抗がある。

 

そういう人達を否定しようとは思わないどころか、ある意味尊敬すらしているが、自分は絶対に嫌だ。

 

時代が変わっても、自らの常識が、あの当時のまま固定化されてしまい、絶対的な常識としてもう根付いているからだ。

 

昭和の時代は「TVを見ているとバカになる」「漫画を見ているとバカになる」「ゲームをしているとバカになる」とよく大人たちに言われていたが、その当時の大人たちもそういう常識に囚われていたのだろう。

 

自分はそれを「何を。そういったコンテンツから自分は沢山のことを学んできた」と鼻で笑っていたのだが。

 

きっと、今の若い子たちも、俺の考えを聞いたら同じように鼻で笑うのではないだろうか。

 

そういう意味で、今の10代~20代と、30代以上との世代では「ネットで自らを配信する」という事に関して、隔絶した絶対的な価値観の違いが存在していると思っているが、どうだろうか。

 

しかしながら、これからもネットがあり続ける限り、この風潮に歯止めは効かないだろう。

 

情報を制すものが戦を制すと同じように、ネット配信を制したものだけが勝ち残っていける社会になっていくだろう。N国立花の戦略なんてモロにそれだ。

 

言い換えれば、ネットや直接的な人間関係でのあらゆる悪意に耐えられるメンタルこそが、今成功するために最も必要な能力なのか。

生きるという苦行とストロングゼロ的なもの

死にたければ死ねばいい。

 

でも死ぬのは怖い。痛いのは、苦しいのは嫌だ。誰でもそうだ。

 

生きる為には必ず金を稼がなければならず、それは言い換えれば怠惰を許さないことであり、さらに何も変化のない繰り返しの日々は苦痛なので潤いを与えるべく、そこに無理やりの楽しみを見出そうとするのも、人によってはまたとてつもない苦行だ。

 

要は、生きるってことは面倒くさいことや辛いことを無理やりにでも頑張ってし続けないといけないということだ。

 

あー、早くこの自意識から解放されたい。次に瞬きをした瞬間に、この世よからパっと消えてしまいたい。心からそう思う時がある。

 

今は幼い娘が二人いるので、その幼い命が、その監護責任が、ギリギリの所で自分になんとか生きる為の強制力や活力をもたらしてくれているに過ぎない。

 

もし俺が独り身ならとっくに死んでたかもしれないなと思う。

 

30も過ぎると友達や恋人に会って楽しいという感情や、何かしていて気持ちいいという感情の全てが、何も考えたくない時に飲むストロングゼロと同じようにただの現実逃避の一時的な麻薬に過ぎないんだと気付くようになる。

 

常に楽しいなんてことはほとんどの人にとってはありえなくて、あくまで一時しのぎの覚せい剤のような役割をそれらを果たしていて、僕らは常にそれらに縋って生きているのだ。(だって、セックスレスってだけで離婚しちゃう人も沢山いるんだぜ?)

 

生きるのがつらくなると、俺は宇宙の動画をyoutubeで見ることにしている。

 

あと、wikiで第一次・第二次世界大戦の死傷者とか天安門事件のような大量虐殺事件を調べることにしている。

 

宇宙の、特に地球とそれ以外の星の大きさとの比較、宇宙自体の大きさを視覚的に取り込むと、まるで自意識から解放されたように、自分の人生も、他人の人生も、この世の全ても、そんなあらゆるものがちっぽけで滑稽でどうでも良くなるからだ。

 

虐殺や戦争で若くして亡くなった人達が過去に何百万人、何千万人といると、不謹慎極まりないが、安心する。志半ばで泣きながら死んでしまった人達がこんなに沢山いるんだ。俺の人生の何千万倍なんだ。ああ今、俺は痛みからも苦しみからも逃げて、のうのうと生きていられるだけ幸せなんだって。カイジの人間競馬と一緒だ。

 

これらの行為も深夜のストロングゼロと一緒だ。ただの現実逃避だ。

 

100万稼いでも日々の消費に消えるだけ。1億稼いでも、日々の退屈が待っている。

 

心からやりたいことや人生の目標と言えるものが何もないというのは、すなわち絶望だ。死にたくない。ただそれだけで生きている。

 

人生は、長すぎる。30代前半でこれとかこれからどーすんだ。

 

若い時はスゲーバカにしてたけど世の中の宗教が人々の心に巣食う理由も、なんとなく分かってくる。

 

家族を養う立場にいるという事実を完全に無視して個体としての本音を言えば、

 

ああ、早くこの日々苦痛を生み出す肥大化した自意識から何の苦しみもなく今すぐ抜け出したい。

 

それだけだ。

既婚も未婚も男はたいてい孤独になっていく

ママ友たちとコミュニケーションを取っている嫁を見ると、凄く実感する。

 

あー、男って…というか、少なくとも俺は年齢と共にどんどん孤独になっていくんだろうなぁと。

 

別に嫁に構って貰えなくて寂しいとか、そういう話では全くない。

 

嫁やその周りのママたちを見ていると思うのだが、女性は年齢差をあまり気にしない。

 

初対面の相手と10歳ぐらい年齢が違おうが、平然とすぐ互いにタメ口になって対等に世間話をしたり旦那の愚痴を笑い合いながら零していたりする。

 

これが男同士の場合だと、どうだろう。

 

例えば俺は今33歳だが、相手が43歳なら心のどこかでは会社の上司や先輩と接するような少し謙遜した態度が節々に出るだろう。勿論余程のことがない限りは常に敬語だ。

 

逆に同じ環境の22歳が相手なら、常に敬語であったとしてもやっぱりどこか会社の部下や後輩に対してのような、良く言えば可愛がる心境、悪く言えば少し舐めているような心境になりがちだ。

 

男性はどうしても「年齢」をある程度「社会的地位」に変換させて、そんなバイアスを通じて同性を見てしまう。

 

体育会系のように明確に上下関係があるわけでないが、少なくとも初対面の10歳下が打ち解けて割とすぐタメ口を利いてきたら「失礼な奴だな」と思うし、逆に打ち解けても10歳上にタメ口を効こうとはまず思わない。例え年齢がタメだったとしても、友達というより、あくまで比較的仲の良い取引先という感覚が近いだろう。

 

多少固っ苦しい礼儀というか、マナーというか。そういうものは付き合いに欠かせない。パパ友なんかがいる場合、そんな感覚の人は多いんじゃないだろうか。

 

ところが、冒頭にある通り、女同士だと「社会的地位」云々という要素は全然なくてどっちかと言うと「同じコミュニティに所属する一員同士」という意識が強い。

 

まあ地域や子供の年齢次第では世間一般的に言われるママ友カーストみたいなものも出来てくるのだろうが、少なくとも子供がまだ幼児であるウチの場合は、今の所そういったものとは無縁だ。

 

だから、女同士だと「何かあったら助け合いましょう」みたいな感じで割と頻繁にママ友コミュニティでワイワイとやり始める。あくまで互いに「ママ」という立場があってこその関係だが、割と思春期時代の友達関係に近いものはそれなりにあるだろう。

 

でも男同士だと友達同士って感じには中々ならない。やっぱり職場や取引先の人間に対してみたいに、どこかで一線を引いてしまう。

 

マイルドヤンキーみたいに学生時代の友人関係がずっと色濃く続いているなら、その中では勿論昔の感覚のまま友達同士なのだろうが、田舎に比べて都会寄りの地域では学生時代の交友関係がいつまでも濃く続いているケースはそんなに多くないだろう。

 

女は多分何歳になっても気楽にコミュニケーション相手を自分の生活圏内の周辺で見つけてくるし、その中で対等な関係を築くのが早い人が多い。実際、公共の場でオバサン達が集団でペチャクチャしてても周囲の人達は何も思わないだろう。よく見る光景だ。

 

ところが、男はそうはいかない。

 

まだ何も持たなかった学生時代は集団でつるんでいた男達も、独立して社会人になって家庭を持つような年齢になると、社会的地位を背景にしたプライドをそれなりに持っているので、いくら似た境遇だろうと、他人とあまり私生活で馴れ合わなくなる。

 

っていうか、とっくに引退したジジイの年齢ならともかく、30~50歳くらいの会社で係長~部長やってそうなオッサン達がプライベートに公共の場で集団で学生みたいにワイワイはしゃいでたら、なんかキモいだろう。いい歳してみっともない。

 

そういう世間の目も、多少は関係ある気がする。

 

気付けば、還暦を迎えた妻にとって旦那は「沢山あるコミュニケーション相手の一人」となり、還暦を迎えた旦那にとって妻は「会社での付き合いを除けばほぼ唯一のコミュニケーション相手」となっているケースが多い気がする。

 

そして、そのまま定年を迎えれば、拠り所であった「社会的地位」も綺麗さっぱりになくなり、目出度く「ほぼ誰からも相手にされない孤独なジジイ」の出来上がりである。

 

旦那が死んでも人生を笑顔で謳歌する妻は多いが、妻が死んだら無気力になって自分もすぐ死んでしまう旦那は多いのだ。

 

そして、「寂しい」という感情は、本当に厄介で、これほどまでに年齢によって受け手の印象が変わるのに、ほぼ全ての人間が疾患する可能性のある「病」は他にないんじゃないかと思う。

 

10代~20代の若者が「寂しい」と言えば、周囲は共感・同調してくれるし、場合によっては誰かがすっ飛んで来てくれたりする。要は関心を持ってくれる人間がまだまだ多い。

 

でも中年~老人が「寂しい」と言っても、キモいだけだ。誰も近寄ってくれないし、近寄って欲しくもないだろう。それどころか、犯罪者予備軍みたいな扱いをされることさえもあるだろう。

 

つまり、「孤独なオッサン」はもう救われないのだ。

 

人生でキラキラと光り輝く10代~20代はあっという間で、それ以降の淀んだオッサン期の方が、人生では遥かに長い。

 

多分30代前半の俺も、本当は今の内から孤独を遠ざける為に色々努力をしていかないといけないんだろう。老後資金を貯めるように、少しずつ。

 

でもさー、イイ歳して「仲間!友達!」とかキモくない?っていうか若い時は全然許されるどころかエモいとか言われるようなものでも、オッサンになると途端にその言動が基本的に全部キモいになっちゃうのってマジで何なんだろうね。

 

自分に対して、どうしてもその感情が拭えなくて中々行動に移せないわ。