冷凍都市のくらし、アイツ姿くらまし

独立して5年経った個人事業主のあれこれ

年を取るにつれて傲慢になる実感

例えば、自分が18歳の時は街に繰り出して店で出会う人間全てが大抵年上だった。

 

常に敬語。自分は学生で相手は社会人。そういう線引きがあった。

 

それから16年。今や34歳になって。

 

そうなると店では結構な割合で相対する人間は年下になる。

 

特にガールズバーだとかキャバだとかに客との付き合いで行った時。

 

19歳でーす、22歳でーす。とか。こういうのが沢山出てくる。

 

で、19歳の時の自分だったら「おー、タメっすね!」とか自然に明るく対応するわけよ。

 

それこそ誰でも友達になろうぜ!みたいな陽キャテンションだった。

 

でも年食ってオジサンになってしまった今だと直接的には言葉にはしなくても心の中で「このクソガキが」ってなっちゃうわけよ。

 

悲しいね。

 

34歳になった今の自分から見て19歳だとか20代前半の時の自分っていうのは、物凄くガキで恥ずかしい位にどうしようもなくバカだったわけで。

 

で、この相手はその時の俺と同じようなレベルなのかぁと思うと、思わずそういう風になってしまう。

 

相手が「あの頃の自分と同格」という鏡になってしまう。

 

もうね、一回でも頭の中でそうなるとダメ。

 

まともな企業で社会経験積んだこともねーガキがなんか言ってんよー、とか。

 

結婚も子育てもしたこともねーガキがなんか言ってんよー、とか。

 

独立して一人で家族養う覚悟だとか能力もないガキがなんか言ってんよー、とか。

 

そうなっちゃう。

 

しかも水商売の人間が相手だと学歴皆無とかも多々あるから余計にだよね。

 

要は若い相手(≒あの頃の自分)を見下しちゃうわけだ。物凄く。

 

これは自分の、主に酒が入った時の癖として、物凄くダメな傾向だと思うけど。

 

いやそりゃ18だろうがハタチだろうが、東大京大行ってますだとか、学歴なんてなくてもプログラミングでこんな結果出してますだとか、ショボくてもサービス作ったことありますとか、英語ペラペラですだとか、本や漫画を出版したことありますだとか、スポーツ全国選抜で活躍してますとか、すでに起業してますとか、youtubeで数万人登録者いますとか、自分のイラストや文章や音楽で数十万数百万稼いだことありますとか、まあ何でもいいけど年齢に関係なく一能に長けて俺より凄い人はいっぱいいるわけで。

 

そういう人だったらさ、もうそりゃ俺がガキだった頃の自分と比べてっていうか、もはや今の自分と比べても、うわこいつマジか俺より全然スゲーなーって思うし心の底から尊敬っていうか、いやー自分が恥ずかしい!ってくらいのテンションで尊敬語と謙譲語ガンガン使って接するんだけどさ。

 

そんな奴って、まーそんな数いないじゃん。

 

少なくともそこらの店で接客業やってる若い奴なんて大抵の場合、90%以上の確率で何も考えてないバカじゃん。ただの大学生とか専門学生とかフリーターとか。

 

あの頃の自分と一緒かそれ以下じゃん。

 

そう、だから話ちょっと変わるけど、凄く思うんだよ。

 

30だとか40だとかのオッサンで20前後の小娘と付き合ってる奴ってたまにいるじゃん。

 

あれって本当に凄いなー…って。

 

自分がハタチの時に赤ちゃんだった奴とか10歳の小学生だった奴とかと、今の時点で一見して対等に付き合ってるわけじゃん。

 

いや、わかんない分かんないよ?心の底では、本音では、俺と同じようにクソガキがって思ってるかもしんない。

 

でもまあ、それを表面上はおくびにも出さないわけだよね。

 

それって物凄いことだよね。オレ相手がどんなにエロ可愛くてドスケベ・ザ・エッチ・セックスだったとしても絶対ムリだもん。

 

あの頃の自分と重ねて、大抵の場合は何もわかってないこのクソガキがって思っちゃうもん。

 

一度でもそう思ったらもう露骨に態度にも出ちゃうし。

 

クソガキがって思いながらも、セックスの為に表面上はそれを一切出さずに大人で余裕ある自分を演出とか絶対ムリだわ。

 

っていう感覚値が俺にはあって、もしそれがそこらの60歳だとか70歳だとかのジジーババーにも共感されてしまうような性質のものだったとしたら。

 

とある80歳の政治家とかに対して「なに言ってんだこの老害、バカか早く死ね」って俺は思うかもしんないけど、その80歳の政治家からしたら34歳の俺は「俺が40歳の時に生まれてもいなかったクソジャリが何言っちゃってんの?死ねば?」ってなるわけで。

 

そりゃ世代間闘争とかなくなるわけねーし、老害もいなくなるわけーじゃんって思った。

衆愚政治の馴れの果て

マスク、トイレットペーパー、食料などの買い占め。

 

最初に動いてる奴はバカ。凄くバカ。間違いなく。但し、正解だ。

 

逆に言えば、それを読んでる人達。動かなきゃバカですよ。自分だけ損しますよ。

 

こんなんもう株価の動きと一緒だから。

 

いるんだよ、絶対に。一定の割合で。この世の中に脊髄反射のクソ馬鹿は。

 

どんなにダメって教えてもパワハラとかイジメするゴミって一定数いるでしょ?それと一緒。

 

んで、それが是じゃないと分かってる知識層も結果が予見できるから身を守る為に致し固く真っ先に同じ動きをするわけじゃないですか?

 

もうね、これは仕方ない。

 

クソ馬鹿に、いくらお前がクソ馬鹿なのかって説いても絶対理解できないから。

 

それも全部とっくに分かってるから。諦めてるから。

 

いわゆる民度ってやつだね。

 

民度が低い割合がそれなりに高いとそうなる。しょうがない。

 

で、日本っていうのは絶対的には民度が低いんです。

 

偏差値50未満が国民の半分いるわけです。

 

それでも相対的にヨーロッパの一部の国とかに比べたら全然マシかもしんないけど。

 

だから、仕方ない。動かないと負け。

 

っていう論法をさ、税金だったり政治に対して有効活用できるようになればいいのにね?

 

しねーんだよなー…この国の人間達は。

 

そうすりゃ若者や子育て世代を老人世代より優遇しますとか出来るかもしれないのに。

真面目かつ善良であることを子供に教育すべきか

絵本なんかを読んでいても、低学年向きの国語の教科書なんかを読んでいても、真面目かつ善良であることを美徳とする話は昔から多い。それこそお伽話だってそうだ。

 

しかしながら。

 

森友文書改竄を行い自責の念で自殺した財務省職員や、内閣官房副長官補室に配属されていたコロナウィルス担当の警視庁の人間が自殺した件、郵便局の過剰ノルマに追い詰められ自殺した郵便局員電通に務めたエリートで忙殺されて自殺した若い女性社員、ここ10年で何人もの人間がパワハラ被害により自殺してしまった三菱電機の社員、栃木県でママ友によるイジメが原因で自殺してしまった主婦…etc。

 

こういう人達は皆、ことさら責任感が強く、自分を責める相手のことを責めきれず、自分一人で全てを背負って何とか状況を改善・打破しようと不断の努力を続けていたにも関わらず、最後は心が壊れてしまい、自殺してしまったように見える。

 

こういう人達は本当に報われない。自分の命を投げうって最後は自殺してしまうぐらいまで自分の責任を何とかやり遂げようと、それほど真面目だったのに。

 

パワハラしていた人間やイジメをしていた人間、その立場に当事者を追い込んだ人間達が死刑になるわけでもクビになるわけでもなく、組織も加害者も本当に大した罰も受けず、良心の呵責に苛まれることもなく、のうのうと今も生活している。

 

人をそこまで追い込む人間が、真面目かつ善良であるとはとても言えないだろう。

良心の呵責どころか下手したら飲み屋で自分が誰かを自殺に追いやったことを自慢するようなバカさえもいるだろう。

もはやスラム育ちの犯罪者と何ら変わらない思考。

 

だが、そういう奴こそが厚顔無恥で生きやすく、多くこの世にのさばっている。

 

憎まれっ子世に憚る、というやつだ。

 

よく、人は自分と同じような考え・レベルの人間が集まるものだ、と言われがちであるが、皆様ご存じの通り、社会に出ればそんなわけがないのだ。

 

生まれた時代も場所も環境も信条も信念も思考も態度も性格も人種も人間関係も、何から何まで自分と違う人間達が周囲に大勢張り付いている。

 

東大に行くようなエリート達の間ならば低学歴の高校で起きるような暴力的なイジメは頻繁に発生しないのではないか?なるほど、確かにその確率は低いかもしれない。

 

しかし、おそらく自殺した財務省職員やコロナ対策の警視庁職員などは少なくとも低学歴ではなかっただろう。結局、学歴があろうがなかろうが、社会に出れば真面目であるが故の責任感を搾取されて自殺に追い込まれる人間は多々発生する。

 

この責任感の搾取、というのは、言い換えればブラック企業のやりがい搾取と本質的には何ら変わらない。

 

こう考えると、ただひたすら真面目であること・善良であることが正義とはとても言えない。いや、正確には正義であるはずなのだが、このゴミのような世の中では、その正義はあまりにも弱く、脆いということだ。

 

真面目で善良であることを、まるで弱点であるかのように捉え、追い詰め、恫喝し、無理をさせ、搾取する悪い経営者や上司など、いくらでもいる。

 

ということを、俺に言われるまでもなく勿論とっくに体を持って知り尽くしている我々子の親は、ではどういう風に自らの愛しい子供に、伝えていくべきなのか。

 

自分が何か悪いことをしてしまったら、間違ったことをしてまったら、「ごめんなさい」と謝れるようになろうね。

 

人に会った時は「おはようございます・こんにちは・こんばんは」と挨拶が出来るようになろうね。

 

自分のしたいことや欲しい物を望む他の人間がいる時は「順番を守って」しようね。

 

など、我々は自らの子供に社会や組織における最低限のルールを教えていくわけだが、そもそも「何か悪いことや間違ったことをしてしまったら、ごめんなさいと謝れるように」というのが、真面目かつ善良の下地みたいなもんである。

 

パワハラやイジメをするような加害者は、何か悪いことをした時にごめんなさいと被害者に謝るだろうか?謝るわけがない。謝るぐらいなら最初からしないのだから。

 

つまり、そういう人間は、自分とは違う教育を受けてきた人間なのだ。或いは、同じ教育を受けたがそれらが何も身に付いていない人間なのだ。教育を受けて身についている側からすれば、相手はまともな人間ではない。価値観と文化がまるで違う人間だ。

 

価値観と文化が違う人間に、一個人がこちらの価値観と文化に合わせるよう説得しても無理だ。

 

それは、説得する側が例え国家権力であっても難しい。

 

国によって定められた「法」という価値観と文化を、刑罰と一緒に相手に幾ら伝えたとしてもだ。

 

刑務所から出所した人間が、どれだけ再犯を犯すか見れば分かるだろう。

そんなものを一個人が個人や組織を相手に安易にどうにか出来るわけがないのだ。

 

じゃあ、そういう人間が自らの子供のすぐ目の前に現れたら?

 

「あの子と付き合うのはやめなさい」「あの子とお友達になるのはやめたら?」

 

なるほど、幼い子供の時はそれで済むのかもしれない。

 

では、同じクラスや学年にそういう人間がいる中高生の場合は?

 

同じ会社・同じ部署にそういう人間がいる社会人の場合は?

 

相手の非人道的または不正または法令違反行為を糾弾し戦う、それに耐える、逃げる。

 

大体の場合、大まかに分けて三択だ。

 

ここで耐えるを選択すると、冒頭例のように最悪の場合、死ぬことになる。

 

では戦うか、逃げるか。

 

理想は戦うだ。仮に真面目かつ善良であるべきことを我が子に伝えてきたのならば、それを何ら守らず自分や他者に迷惑をかけ続ける存在である相手と戦い、打ち勝ち、相手が心から反省しているかどうかに関わらず、もう同じことはしたくないと思えるほどのペナルティを負わせることだ。

 

しかし、容易ではない。

 

大抵の場合、そういう相手の方が自分より大きな権力があったり、大きな組織を味方につけていたりする。頑張っても負ける確率は高い。仮に負ければ、耐える以上の苛烈な報復が待っているだろう。

 

では、逃げる。

 

これが一番てっとり早い。だが、問題はある。

 

逃げた先にも同じような人間がいる可能性は、幾らでもある。

 

転職先や転校で配属された部署・クラスにいなかったとしても、人事異動・クラス替えの瞬間にそういう相手が突如現れることもある。

 

じゃあ、その度に逃げなきゃならないのか?何ら間違ったことをしていない側が?

 

戦うなら強くなければならない。その正義が通せるように。

 

三菱で、財務省で、パワハラや不正を強要してくる目上の人間の証拠をしっかり残し、それを世間に公開したり、弁護士と共に訴訟したり、その間どれだけの脅迫や恫喝、圧力を集団から受けようと一切引けを取らずに一人で立ち向かい続けなければならない。

 

自分だけではない、自分の家族、愛する人、それらに危害が及ばぬように、それらを懸命に守り通しながら、勝つまで、いや勝った後も、守り続けなければならない。

 

耐える・逃げるなら、明確なボーダーラインを決めておかねばならない。一体、自分はどこまでなら耐えられるのか?一体、どこまでされたら逃げていいのか?

 

それを定めておかないと、自らに仇なす者が溢れ、いつ現れるかどうか分からないこの世界で、簡単に行き場をなくし、最後は独りになってしまう。

 

そう、真面目かつ善良であることは、かくも厳しい。かくも辛い。かくも弱い。

 

正義であると教えられたはずなのに。

 

本来は、円滑かつ平和に社会生活を歩み、多数の人間と共存する為に必要だからこそ説かれたはずの「真面目と善良」は、90%との意思疎通と調和に最大限役に立っても、残り僅か10%のそうでない人間の生贄となる数%の人間達を常に犠牲にし続ける「生贄の儀式」と同義とも言える。

 

耐える・逃げるのボーダーラインを高める為に頭脳と精神・体力を鍛え、いざという時逃げの手が即座に打てるほどには責任に固執せず不真面目でいなさいと。

 

現代社会の日本に生きる我々は、我が子にそう教えるしかないのだろうか。

専業主婦vs旦那

まず、子供がいて兼業主婦の方!凄く立派だと思います。偉い!凄い!

これからもどうか是非頑張って下さい。

 

子供がいて専業かつ色々と日々文句言ってる方。社会に出てパワハラを半年以上受けたことありますか?

 

例えば毎日3時間個室に呼び出されて泣くまで怒鳴られたり、罵詈雑言履かれたり、ボールペンやノートぶん投げられたり、そういうレベルの。

 

ある、という方。今の旦那がそういう目にあっていて会社を絶対に辞めない、辞めれない理由を考えてみて下さい。

 

ない、という方。分かってないです。

 

いや、というか、分からなくていいことなんですよ。そもそも。

 

ありえないじゃないですか、なかなか。

 

でも、あるんですよ。普通に。

 

俺はありました。社会人4年目までは全くそういうことなかったです。

 

5年目で会社の都合で部署替えが発生して上司が変わった途端、そういうことが起こりました。

 

結果、会社を辞めてフリーになったのですが、その時自分は独り身だったので、その決断に何ら迷いはありませんでした。

 

でも、もしその時に養うべき嫁や子供がいたら…辞められたかどうか、分かりません。

 

そこから半年~1年、延々とパワハラを受け続けて鬱病になったり、自殺していたかもしれないです。

 

っていう想像力をさ、もってる人はどれだけいるのかな?

 

少なくとも旦那も1か月ぐらいは丸々一人で子供の面倒見れるくらいじゃないとそりゃ同じ土俵には立てないとは思いますよ。

 

俺は嫁を実家に帰した上で、やったので。授乳も寝かしつけも風呂入れも遊びも全部。一人で。仕事しながら。その後も週3~4くらいは結構な割合で育児やってます。まあフリーランスだから出来たor出来てることなんだけど。

 

で、両方やった上で言おう。大変さの質が違うのは分かる。

 

でも、責任を負う時間の長さが違う。

 

まあ俺も子供まだ5歳とかだから15歳の時~とかわかんないけど、なんつーのかな、少なくとも体力的・精神的には一日つきっきりの時期って言うて生まれてからの数年なわけよ。今もう幼稚園行ってるし、朝出て15時ぐらいに帰ってきてそっからもyoutube見て大人しくしてたり、会話もしっかり出来るわけよ。そりゃ土日は家族で丸々遊びに行くけど。0歳~2歳の時と雲泥の差やん?

 

それに子供が中学(13歳)~大学(22歳)の時とか最早親が逐一見てる時間少ないよね?俺自身がそうだったけど、学校行くのに朝7時に家出て帰ってくんの夜9時~12時とかだったよ?バイトもしてたし。夜飯さえ自分でorまかないで食ってくるから作らなくていいよーってメールするとかしょっちゅうだったわ。っていうのを考えるとさ。

 

でもさ、リーマン(旦那)はちゃうやん。

 

30歳で結婚したとして、70歳まで働くわけよ。養ってるわけやから。いやもう65歳定年がありえないから仮に70したけど、下手したら80歳とかまでだよね。

 

で、仮に独り身だったら50歳ぐらいでとっくに貯蓄4000万!とか6000万!とか行けてる仕事だとしてもね、家族いたら精々1000万ぐらいしか溜まってなかったりするんですわ。

 

40年間、大変なんよ。どんなに嫌なことがあっても辞めれないんよ。それこそブン殴られたり、後輩にションベン飲まされるような環境だったとしても。

 

いや、辞めていいっつーなら辞めるけど、給料手取り月20万になるっすけどいいすか?みたいな。

 

ダメだよね?

 

だから、みんな我慢してんだよ。

 

その覚悟、あなたにありますか?

 

同じことされて、何の文句も言わず、家にその不満を一切持ち帰らず、家族数人の人生を背負って責任もってやりきれますか?

 

ちなみに、俺が過去付き合ってきた女は、たいてい仕事やバイトでちょっとでも嫌なことあれば、全部それを家に持ち帰ってきました。10倍ぐらい大げさにして。そういう人達はいちいち共感して貰わないと生きていけないんでしょうね。

 

俺や周りの男友達は、だーれも家に持ち帰りません。どんなに外で嫌なことがあってもそれは家に持ち帰らず、ニコニコ取り繕って、自分の中で消化してます。消化しきれなければ、その状況が分かる一部の他人を呼び出して、そこで解消してます。

 

っていう俺の経験値の中でさー、知ってる女で20代から70歳まで毎月最低50~100万稼いで4000~6000万くらいの一軒家建ててローン返しながら、かつ専業旦那から「稼ぎ少ない!」とか「セックスレスやめろ!」とか「子供の面倒みなさすぎ!」とか「子供にもっと学費つぎ込みたい!甲斐性なし!」とか日々言われまくって文句の一つ言わず頑張ってる女を見たことがないので、同じことやれてる人は証拠を付けて反論して下さい。

 

そういう人がいたら、男の苦しみが分かる人だと思うので、全力で労います。

 

ちなみに俺は今んとこ年収1200万~1500万いったりきたりしてます。嫁は専業です。税金どっぷりで全然儲かってる気がしないので、まだまだショボイデスネー。以上。

芸能人や有名人のtwitterやブログにコメントする人集まれー☆

なんでするんですか?

 

全然理解できないので教えて下さい。

 

まず、自分の生活(家や学校・職場)や人生と全く関係ない人間に興味を持つその思考そのものが全く理解できないので教えて下さい。

 

仮に興味を持ったとして、自分と同じような人間が1万人、10万人、下手したら100万人いる環境で、なぜ自分だけがその中で特別な一人の人間として真っ当に認識されることが前提かのようなコメントを平然と残せるのか、それも教えて下さい。

 

例えば本田翼のゲーム実況動画とか凄い人気だけど、それ見て何になるの?って物凄く思うんですよ。

 

可愛いのは分かるけど、なんで自分の時間割いてまでわざわざ見るの?

 

何十万再生とか行ってるみたいだけど、なんでですか?

 

凄く教えて欲しい。

 

そして見るを超えてコメント残す神経な。その理屈を教えて欲しい。

 

自分の人生と何ら関わりが無い芸能人にコメント残す人の気持ちって何なの?どう思ってんの?全然理解できないので是非とも教えて下さい。

 

俺がもし10万人ファンがいるレベルの芸能人で、例えば実況動画を流してコメント1万とかあってもまず読まないです。意味ないし、どうでもいいし。究極的にはゴミだし。

 

マネタイズの道具にしか思わないです。

 

表向きには「みんなのおかげだよ☆」って泣きながら言うけど。金鶴だから。

 

っていう状況で、なぜ貴方たち一人一人は賢明にコメントをするのか教えて欲しいのです。

 

俺は好きな有名人とか芸能人とか全くいないし、そういう赤の他人の為に金と時間を使おうと思ったことが全くないので。

 

昔、渋谷で出会い系のサクラのバイトやったことあるんですよ。

大学時代に2年くらい。

 

女キャラ(可愛い女写メの人物)になりきって男客と思わせぶりなメールのやり取りをするバイトだったんだけど、そのユーザーに対してと同じ感覚を抱くんだよね。

 

なんでこんなことすんだろーっていう。騙さされてるのになー。バカにされてるのになーって。搾取されてるのになーって。凄く純粋に。もう全く理解できないから。

 

是非ともその心を教えて下さい。

 

それが宗教ってんなら分かります。神として信仰していて、それがないと自分のリアルの生活はつまらなすぎて、縋らないともう生きていけないという理由なら。

 

でもその神に半径5mの人間と同じ感覚で「それな」とか「笑った」とか「マジすげぇ」とか「もっとこうした方がいいよー」とか気楽にコメントする感覚も全く分からないので、その心も誰か教えて下さい。

人気youtuberって宗教だったんだ

何百万人のチャンネル登録者数だとか何百万再生の動画だとか、youtuberの動画がなんでそんなに人気を集めてるのか全然理解できなかったんだけどレペゼンだのヒカルだの、初めて彼らの動画を幾つか見てみたらようやく理解できた。

 

若いデジタルネイティブ第3世代の宗教として機能してるんだなって。

 

バカやってて楽しそうだけど、マジメに語る所では視聴者層のモチベーションを上げるように夢や過去を語ったりする姿は、大人気の予備校講師の授業に似た何かを感じた。

 

若い世代はいつだって、大人になることを、社会人になることを恐れているから、やりたいことが見つからなくて焦っているから、そこの不安を和らげて、モチベーションを上げていく役割を果たしてたんだな。

 

田舎から出てきて、苦労して有名になって、有名になったからこそ自分のやりたいことも実現できるようになって、毎日楽しく稼げるようになって、そしてまだまだ夢を追いかけてる。

 

っていう現在進行形の彼らの物語は、未成年からしたら強烈な憧れを抱くだろうし、すでに社会人生活を送っている若い世代から見たら励みになるんだろう。

 

っていうか、多分だけど気付いたらもはや「一部の視聴者」は「人気youtuber」と「同化」してんじゃないかな?

 

数年間から流行ってる「なろう小説」って闇が深いことに30代~50代の読者層がほぼ7~8割を占めるボリュームゾーンらしいんだけど、それと一緒で。

 

読者のオッサン達は、なろう小説に登場する主人公に没入して気持ちよくなることでパっとしない現実から救われてるわけじゃん?

 

悩み多き若い世代にとっては、それがなろうじゃなくて、youtuberってだけで。

 

姿・形が変われど、人はいつだって救いを求めるんだな。

 

人が生きてる限り、宗教って絶対なくなんねぇんだなぁ。

BSS(僕の方が先に好きだったのに)というジャンルについて

古くは「からくりサーカス」、10年前なら「オナニーマスター黒沢」など、すでにその要素を多分に含んだ有名作品は枚挙に暇がないが、ここ数年間オリジナル同人界隈でNTRものが供給過多気味に生産され続けていく中で、最近一つのジャンルとして明確に呼称が付けられた。

 

その名も「BSS」。「僕の方が先に好きだったのに」の略称。

 

名付けセンスがあまりにも秀逸で笑ってしまう。

 

この呼称の中に、恋愛弱者の情けなさや被害妄想的な痛々しさといったものが非常に端的に含まれている。

 

概念そのものに固有名詞がないとフワフワとした「~~な感じ!分かるかなぁ?」といった具合でしか他者に伝えられないが、固有名詞が付いたことで、しっかりと地に足を付けてこの世に定着した。そんな感じがする。

 

自分のようにオスとしての魅力にどこか欠け、負け続けてきた人間にとって、このBSS命名化は、そういった出来事がこの世の中でごくありふれた事例・共通認識であるということを再認識させられ、非常に心地の良いものがある。

 

青春時代から結婚するまでに5人と付き合い、それ以外にキスだけとか愛撫だけとかセックスだけとかそういうの入れたら大体12~13人くらいだろうか。

 

そんな程度の経験値の自分が、これまでに負け続け、惨め極まりない醜態を晒した回数はその何倍にも及ぶ。

 

いわゆるチャラ男や陽キャの強さは、いちいち悲観的にならないことだ。

街中で100人にナンパして99人にシカトされたとしても彼らは傷つかない。

むしろ「一日で一人ゲットしたわwww」ぐらいの感覚じゃないだろうか。

 

ところが、自分のような豆腐メンタルのクソ雑魚は違う。最初の一人目にナンパして断られた時点でひどく傷つき、二人目に断られた時点で自我やプライドがほぼ完全に壊れかけ、三人目に断られた時点でもはや引きこもり確定みたいな状態だ。

 

そもそも、チャラ男や陽キャと女性を扱うときの価値観が違う。

 

チャラ男や陽キャにとって「好きになった女性」は「運命の人」ではないが、多数の恋愛弱者にとっては「好きになった女性」は「運命の人」となってしまうのだ。

 

その為、女性一人ひとりに対しての思い入れが、チャラ男のそれに対して凄く重い。

 

数年間同じバイトをしてきて、初めてこんなに可愛くて仲良くなれる女性ができた!好きだ!とか。

 

中高六年間を通して、初めてこんなに可愛くて仲良くなれる女性ができた!好きだ!とか。

 

とにかく、自分にとって心の底から好きになれる機会が少なかったりして、母数が圧倒的に少ない。

 

母数が圧倒的に少ない=非常に貴重なのである。

 

そして非常に貴重なので、失敗するわけにはいかないのである。

 

しかし、失敗するのである。

 

勇気を振り絞って告白して振られるのはまだいい。

 

そもそも昔から大好きな彼氏がいたり、告白の機をウジウジ窺っている隙に彼氏ができたりするわけである。

 

服でも鞄でもなんでもいいが買い物をしていて「お、これいいじゃん」と思って値札を見てみたら、明らかに他の商品よりも値段が高い。

 

生活していて、よくこんな場面に遭遇することはないだろうか。

 

自分がいいと思ったものは、皆にとってもいいものなのだ。

 

世の中の真理である。

 

自分一人が「イイ!」と思った女の子は、その裏で、その何倍、何十倍もの人数の男に同じように「イイ!」と思われていて、常にアプローチされているわけである。

 

そして、案の定、他の男に掻っ攫われていく。自分が知っている男だったり、知らない男だったり。

 

このようにして「もう二度と出会えないぐらい自分にとって非常に貴重な女」を他の男に取られ続けた人間は、劣等感の塊となるわけだ。

 

自分が選ばれなかったという事実が、人生最初で最後の大博打に負けてしまった時のような、文字通り「人生終わり」みたいな即死ダメージになってしまうのだ。毎回毎回。

 

そして、最終的には、ぼーっと街を歩いていたり、学校や社内をふと見渡した時に「ああ、アイツは俺よりずっとイケメンだ…」「ああ、アイツは俺よりずっと背が高くてスタイリッシュだ…」「ああ、アイツは俺よりずっとオシャレだ…」「ああ、アイツは俺よりずっと明るくて仕事ができる…」とか、いちいち他のオスと自分を比較して「そりゃこんな負け組で取柄の無いオスと付き合ってくれるメスなんていないよな…」と、より拗らせていくわけである。

 

そして、運よく付き合えたりしても、今度はNTRの悲劇が待っているのである。

 

こーゆーコンプレックスみたいなのってさあ、もう染みついて離れないんだよね。

 

結婚して子供ができて家庭を築いても、未だに劣等感に支配され続けていたりする。

 

こういうのを打破するには、全身しっかり筋トレして、身長はもう変えられないけど、支障が出まくる位ならいっそのこと顔面は整形して、服装もオシャレして、定期的に美容院に行って清潔感をキープし続けて、沢山の経験をして知見を広げて、仕事でしっかり儲けて、人と会う時は明るく楽し気で、みたいな状態をキープし続けていかないといけない。

 

例え、オラついた陽キャの、あるいはイケメン達の、あるいは仕事が出来るダンディで知的な経営者の集団に自分が突然属したとしても、顔色一つ変えずに「俺は俺だけど?」って言えるぐらい周りと比較して遜色ない自信に満ち溢れた自分になるしかない。自分で自分のことをそれなりに強いと評価できるオスになるしかない。

 

それをキープし続けて、周囲の人間や初めて会う人間からいつも肯定的な評価を受け続けるにならないと、結局いつまで経っても弱者としてのコンプレックスが鎌首をもたげてくる。

 

でも、めんどくせーからそこまで出来ないじゃん普通。中々。

 

そんなコンプレックスまみれの自分にとって、BSSの流行と、それに共感する人間の増加は、なんだか傷を舐めあえるダメな仲間が沢山できたみたいで、そして自分の中で努力しない言い訳がまた一つ増えて、今日もまた勝手にコンプレックスに苦しみながら、安堵するのである。

 

終わり。