数百年後に全てがAI化された世界があったとして
家に帰れば、石原さとみや広瀬すずレベルの可愛さ・スタイルで東大卒レベルの頭脳を持った床上手の超献身的なセクサロイドが笑顔でお出迎えしてくれて、キッチンでは勝手にクッキングマシンが料理を作り上げていて、amazonの商品も全部ロボットが届けてくれて、車や電車も飛行機も遥か昔に完全自動運転が常識になっていて、俺たち人間の脳にはAIチップが埋め込まれてて、いつでも念じただけで脳内でインターネット回線に繋がってあらゆる情報を視覚すら介さず取得できて…みたいな世界が数百年後には必ず来たとして、その時って人間はどんな事してるんやろか?
多分、結婚は皆まずしないだろうから、少子化は今よりヤバいだろうけど、それは一先ず置いといて。
まず勉強とか試験とか資格も完全に意味なくなってくるよね。だって人類皆電脳なんだから何にも覚えなくてよくて、分からない事は脳内で情報にアクセスすればそれで全て答えが出てくるわけじゃん。経済とか法律とか技術的なこととかも全部。技術なんてダウンロードしたら勝手に手足が匠バリに動きますってなってるかもしんない。生きていく上で必要最低限のこと以外を覚えるのは、脳のリソースの無駄遣いになってしまう。
そんな状態だったとして、あらゆる機械のメンテナンスをしたり、新しい機械を作るのは人間なのか?そのメンテも開発も大抵はAIだけでいけるようになってんじゃないか?AIにそれを実行させる為に最初に人間様による特殊な意思決定だけが必要だってんなら、そこに人手は殆どかからず、超絶エリートが数人いればいいだけの話だ。大半の人にとっては関係ない。
マジで仕事とかって何すんだろ?そこまで行ったらエンタメの分野ですらもうAIが超面白い映画も音楽も漫画も自動生成ガンガンしてくれてそうだし…。
しかもVR機材を身に付けることすらなく脳内で直接ゲームの世界にも完全没入状態で入れるようになってて、そこで冒険やバトルや食事や出会いやセックスまでも出来てしまって…みたいになるわけじゃん。ちゃんと現実と同じように時間が流れて、五感も死なない程度に刺激されてさ。
そうなるともう現実世界の価値なんて、ほぼなくなってくるような気もするし。
あるいは、そんな世の中だからこそ、生身の人間が接客したり何か提供するってことが、この上なく高級で贅沢なこと扱いになるんかな?
うおースッゲーあそこのスーパー人間が接客してるってよおおお!!みたいな。
マジかよ!?あのホテル人間がフロントに立ってるらしいぜ!?みたいな。
…でも、それも多分、極限られた人間だけが行う仕事になってるよね。
現代で言う、銀座の高級キャバ嬢的な。あるいはスチュワーデス的な。
価値があるってことは…資本主義はまだ生きてる…?お金の概念は…ある…?いやそもそもスーパーで野菜とか肉売ってんだから金の存在は普通にあるか…。でも、じゃあ今の一般的なサラリーマンや自営業やパートやバイトにあたるような大半の庶民は何して稼ぐんだ…?それが全っ然わかんねぇ…。いやそもそもモノって売ってんのか?ここまで来たら肉も野菜も米も家電も家具も基本的に全世帯配給制でいけんじゃね?
イギリスの産業革命で、やったーこれで人間様が今までみたいに働かなくてよくなるぞー便利な世の中になるぞーってなってたのに結局工場で働く貧しい層は一日15時間労働とかして化学物質にも汚染されて体壊しまくったって話は有名だけど、言ってもまだそれってまだすっげー部分的な機械化じゃん。結局は人が働く上で便利な機械が誕生したよって話じゃん。PCの普及と一緒よね。効率化された分、結局は空いた時間でもっと仕事させられるだけ。あるいは今度はネット前提の新サービスが仕事としてガンガン生み出されただけ。
でも、それが究極的な効率化まで行って、本当に世の中のほぼ全ての事柄において人間の手が必要なくなってしまったとしたら、人にはどんな仕事が残されてるか想像がつかない。仕事なかったら金もらえないじゃんなぁ?もしかしてあれか?もはや生産性云々じゃなくて、「この家庭は本日、規定のco2排出量を下回ったので1万円支給します。あともう少し、この基準まで下げたら2万です。そこ目指して頑張ってください」みたいな、「この家庭は本日、規定の食事量を下回ったので1万円支給します。以下略」みたいな、そういう方向性いっちゃう可能性も微レ存?数百年後じゃ地球の資源も環境ももっと遥かにヤバいだろうからありえなくはない。え?その1万の財源?わかんね。
あー、でも畜産業とか林業とか漁業とか一次産業はさすがに生きてるか?動物育てるのも殺すのも移動させるのも流石に全部AIじゃキツいよな。
いや…それも自動化できるんんかな?機械が適宜エサあげて、機械が勝手に飼育小屋を掃除して、機械が勝手にゲート解放して放牧して、時期が来たら機械が勝手に動物たちを自動運転トラックに乗せて屠殺場に運んで、機械がどんどん処分して、食用肉をまた別のトラックに機械が積んで自動運転で売り場に届けるとこまで…。
東大レベルに頭いい石原さとみのセクサロイドの一般普及化が実現してんなら、もうそこまで行けるか。っていうか、そもそも論として万が一そういう一次産業の現場で人が働かなくちゃいけなかったとしても、それこそセクサロイドじゃなくて普通の有能な人型アンドロイドでいくらでも代用できるわな。もう(人が働く余地なんてますます)ないじゃん。
だがしかし、それでも世界の覇権は未だに資本主義が握ってるわけで、その資本主義を牛耳ってるのは資本主義の恩恵をフルに受けてる資本主義界のトップ達なわけで…それならこの先も資本主義をなくそうって動きには絶対ならないわけだから…でも現代のような仕事はほぼ残ってないわけで…そしたら本当に国の極一部のトップ層だけが大金持ちでそれ以外の平民は等しく平等ってなるんか?なにその逆説的な社会主義。いやでも言っても資本主義も大航海時代が発祥って考えても500年、産業革命が発祥って考えたら300年程度の歴史しかないわけで…それが数百年後には流石に変わってる可能性もあるし。よくあるターミーネーターのAI統治論的な?
とか、自分の人生において全く必要ない、全く無意味なことを一時間かけて考えてしまった。生産性のない、この時間。これこそが当面の衣食住を確保していないと、人が安心して味わうことのできない道楽の一つなんだなって思った。
また日本人に生まれたいですか?
俺はもういいや。生まれ変わっても日本人はイヤだ。あと10年ぐらいで10億円ぐらい稼ぎたい。いや稼げるに決まってる。そういう風に自分に言い聞かせてはいるが、それはクルーザーが買いたいとか芦屋に大豪邸建てて住みたいとかそういう際限ない物欲から来てるものではない。
ただただ、今のこの日本の将来に不安しか感じないからだ。
少子高齢化がマジヤバイって話はもう既知の通り。画像の通り。別に俺は左翼じゃないし、むしろどっちかという愛国心を持っている方だと思うけど、政府は基本的にどんだけ時を遡っても物凄く嘘吐きでもういい加減イヤになってくるところはある。
・トリクルダウンで給料上がる→経団連企業と政治家だけが儲けて全くダウンしない
※しかもこれからも絶対上がらないの分かってるから政府は副業解禁に舵切ってる
・景気は良くなってる→給料上がんねーのに物価だけ上がる
・株価15年ぶりに2万台!→日銀が買い支えてるだけ
・世界一コンパクトなオリンピック→7000億から3兆円に増えたよね
※ちなみに新国立競技場の建設費は最初2500億円でマスゴミに叩かれて1550億円とかになったっぽいけど、シドニー+アテネ+北京+ロンドン+リオの5大会の主要競技場の建設費の合計額が2480億円らしいので、1500億でもバカみたいに高い。
・移民政策は取らない→外国人技能実習制度(奴隷制度)で30万人以上が数年で来日
・放射能でただちに影響はない→福島県のガン患者数は他県よりも明らかに多い
※ちなみに最後まで原発近くの病院で最後まで診察を続けていた80歳の医者は2016年末に焼死した。がん、白血病、奇形児がどれだけ増えてるかを示したカルテも全部燃えた
ちょっと羅列しただけでもうダメでしょ。自分が75歳とかになった時のこと考えると(それまで生きてればだけど)もう悪寒が凄い。それはもう圧倒的な不安からやね。社会保障とか機能するわけないやん。年金?もらえねーよ。払ってるけど。どんだけ政府がiDeCoとか積み立てnisaとか推奨してると思ってんだよ。生活保護?どーせなくなるよ。後期高齢医療制度?なくなるよ。2050年になったら2.5人に一人は65歳以上だからな。全国民のほぼ半数が引退ジジババ組。支えられるわけねーじゃん。
ちなみに確か年収500万家庭をベースにすると1996年ぐらいと比べて今は年間の可処分所得40万くらい減ってっから。2011年時と比べても25万は減ってる。ひどくね?年収の約8%も減ってんだぜ?自由に使える金が。これからもっとひどくなるよ。
でもこういう不安は金があれば多少はなくなる。DIO様の言ってた通り。だから金を稼ごうと思った。リーマンの生涯賃金と言われる3億(多分いまのご時世だともう2億ちょいがいいとこ)じゃ全然足んない。だってこれからも税金爆上がりすんじゃん。
だから最低でも5億円とか、それ位稼げないと慎ましく生きるのすら不安になる。マジで一歩間違えたり一歩運が悪かったりしたらソッコーで貧困老人になるわ。そんでボロアパートで気付いたら孤独死してて放置されて床に体液が染み込んで死体跡がくっきり残るんだわ。
だから俺はもう生まれ変わったとしてもこんな不安がベースにある国にはあんまり生まれたくない。自分の好きなことやって大金稼げる人は別だろうけど普通の人にとっては金を稼ぐのって大変だし。そりゃ殺人率が激高なエルサルバドルとかホンジュラスとかマフィアにエグい殺され方されるメキシコとかよりはよっぽど安全だとは思うけど。
なんだろう、この真綿で首を絞められる感じもスゲーいやだ。かといってこの国を今すぐ出て行って余裕を持って暮らしていけるスキルもノウハウも俺にはないし。
じゃあヨーロッパか?憧れの中世RPGの世界に生まれ変わってみるか?
はーい、ざんねーんでしたー!2050年にはイギリスもフランスもドイツも国民の20%はイスラム教徒に占領されてまーす!スウェーデンに至っては三分の一でーす!ちな今4%とかやからな。
もうこれ地獄じゃん。政治的にも経済的にも宗教的にも治安的にも地獄しかないじゃん。これが移民政策の末路。まあ西洋列強国は世界史的に植民地時代~冷戦時代やってきた所業がカス過ぎるから因果というか自業自得って感じもするけど。
気付いた。俺もう人間に産まれたくない。楽しいこともいっぱいあるけど、つらいことも死ぬほどあるからな。しかも今なんてまだ33歳やぞ?多分人生におけるつらいことの80%ぐらいは今から死ぬまでの数十年間にまだまだたっぷり残ってるんやぞ?
もうね、子供二人をちゃんと育て上げるのだけが唯一の希望だわ。安楽死施設を望む奴らがツイッターとか2chでわんさかいるのもよく分かる。
あ、ハワイに住んでる大富豪の家の子供としてならまた生まれたい。
ワンパンマンの盛衰に見るクリエイターのモチベーション
ワンパンマン作者oneの才能が一番光輝いていたのは、間違いなく、まだ村田から声を掛けられる前に自分一人でシコシコwebサイトでマンガ描いてた時だったと思う。あくまで自分の勝手な感想だけど、まだ何者でもなかったoneが一番良かった。
もう8~9年くらい前になるか。初めてoneのwebサイトでワンパンマンを見た時、その当時の下手なジャンプ作品よりよっぽどイキイキとテンプレのジャンプしてる感じが凄く良いなって思った。二番煎じの一言で言っちゃえばそうなのかもしれないけど、微妙な時期がずっと何年も何年も続いてたスクエニがブレイブリーデフォルトを出した時の「そうそう!これよ!こういうのでいいんだよ」感みたいな、一種の閉塞感を打ち破るようなものがワンパンマンにはあった。(※なおブレイブリーセカンドは黒歴史とする)
サイタマはいっつも余裕綽々でボス敵を倒すから、サイタマ自身の努力についてはほぼ描かれないけど、代わりに同じヒーロー仲間達の描写で努力を見せるし、友情と勝利も勿論やってる。
ジャンプってさ、強いはずのベジータとピッコロが負けて、最後は悟空が苦戦しながらも逆転してやっぱり勝つわけじゃん。それが様式美じゃん。ワンパンマンも、最後はサイタマが出てきてあっさり勝つけど、それ以前にベジータとピッコロにあたるキャラの強さや努力を適宜伝えて、苦戦させてから、あるいは超アッサリと負けさせることで、ほぼドラゴンボールと同じ様式美を成り立たせてるわけじゃないですか。結局最後はドキドキワクワクの末の待ってましたと言わんばかりの安心感や爽快感を読者にしっかり伝えてくれるじゃないですか。
っていうか、もっと言ってしまえばラッキーが実力に置き換わった、ラッキーマンそのまんまってことじゃないですか。
ラッキーマンは努力マンがラッキーマンの代わりに努力すんだよね。そこで努力マンが一皮剥けて強くなって、読者がおおーってなって、でもやっぱり新たな強敵に負けて、やべーって時にラッキーマンがアッサリとラッキーでボス敵をやっつけていく。努力マン=ジェノスね。あるいは、ジャングルの王者ターちゃんのペドロ=ジェノスね。
で、ずっとそれの繰り返しだとやっぱつまんないから、ガモウはちゃんとスーパースターマンとか勝利マンとか友情マンとか天才マンとか世直しマンとかの人気の出る分かりやすく印象的なキャラを敵味方問わず作ったし、ワンパンマンもキングとかアトミック侍とかアマイマスクとかタツマキとかガロウとかでほぼ同じような構図のものを作り上げた。キャラの背負ってる背景もなんとなく似てるよね。
ハンターハンターの幻影旅団しかり、ラッキーマンのヒーロー達しかり、ダイの大冒険の六軍団長しかり、バスタードの四天王しかり、ブリーチの護廷十三隊しかり、やっぱり作品自体の人気を出す為には凄く大事なんだよね。場合によっては主人公が出るよりもよっぽど彼らが誌面に出てる時の方が読者が盛り上がるような魅力的なキャラ群って。んで、んなことは作家も読者もテンプレとして誰しもがとっくに分かっちゃいるけど、実際その魅力的なキャラ達を作り上げるってのは、これまた本当に難しいと思うし。もうそこが少年マンガ作家としての実力と言ってもいいぐらいに。
で、ワンパンマンはラッキーマンの様式美に沿って、しっかりそこを別の世界観でやり遂げようとしていた。し、多分、村田がガロウ編がほぼ終わりかけてたあそこで声かけてなかったらもっともっとそこを掘り下げた所を今でもスピーディにやってたと思うんだよな。
oneがずっとやりたかったことって、確かにガロウ編で一通り表現し終わったと思う。それってベルセルクでいえば、グリフィスが鷹の団を贄に捧げた蝕のシーンみたいなもんで。三浦健太郎も間違いなくアレがまず最初に頭の中に浮かんだゴールとしてあって、あそこ目掛けてベルセルクを描き始めたんだと思うんだけど、たぶんoneの場合はガロウ編がそれに当たる。
で、その次よ。ここで誰しもが一旦しぼむんだよ。大抵は。もう作者の頭の中でずーっとここを描きたい描きたいってそれこそ作品を書き始める前からワクワクドキドキしていた目標なワケだからさ。そこを描いてしまったら後はもう5月病よ。東大に合格するのがずっと夢だった受験生と同じよ。苦しみながら消化試合してさ、そりゃガッツも平和なパーティ作ってシールケとイチャイチャする優しいオジサンになっちゃうわ。
でもきっと金もなければプロでもない時の、例えweb上では一部から絶大な人気を誇っていたとしても社会的には未だに何者でもなかった時のoneだったら、こっから更にコンテンツをもう一捻り面白くできたと思う。今の百倍スピーディに。ガロウ編を書き終えた後も、「もっともっとこれを面白くして俺はプロになるんだ」とか、そっから先のまだ為し得ていない壮大なゴールが人生の目標としてあったと思うから。
でも、そこでプロになっちったから。今もう村田版が19巻出てて大体2000万部近くいってんだっけ?oneもう億万長者よ。しかもやりたいこと一回出し尽くしちゃったし。
プロになって、何億円も手に入って、しかも今まで趣味みたいに自分のやりたいこと素直にやってた作品の延長線がいきなりガチのジャンプコミックスになって一気に商業フェーズ入って、アニメ化されて、何十万人の読者に金払ってもらったら変なプレッシャーもドバドバやろうし。したらもうキツいよな。あれこれ考えまくって止まるよ。作品としての構成を抜本的に修正するのも大変だし。だから色々仕切り直ししたくてモブサイコ描き始めたんじゃねーかな。サイコも120万部だから十分凄いんだけど。
ブリーチの師匠ですら微妙だったわけじゃん。尸魂界編をピークに、後はずっと。相変わらずキャラデザとネーミングセンスは神がかってたけど。アーロニーロ・アルルエリ。グリムジョージャガージャック。バンビエッタ・バスターバイン。閑話休題。そんなブリーチは凄く幽白リスペクトだった。幽介の一歩間違ったらそうなってたかもしれない未来として戸愚呂や仙水が敵として現れるって構図を、ブリーチも一護が一歩間違ってたらそうなってたかもしれない未来として十刃とか仮面の軍勢とか死神代行消失編の銀城とかで表現してた。ただ、幽白は面白かったけどブリーチはつまんなくなった。エルが死んだ後のデスノみたいに蛇足感が半端なかった。
ワンパンマンもブリーチ化すんのかな。すんだろーなー…。もう二度と本当の意味での「あの頃の続きのワンパンマン」を読めないのか。そう思うと、あの頃のファンとしてとても切なくなる。
30代が経験した恐ろしい質と量のメインカルチャー
今の日本の置かれている経済的な状況はとてもいいとは言えないものだけれど、文化的な経験で言えば、結構いまの30代は恵まれていると思う。
例えば音楽でいえば、国内において昭和的な歌謡曲をギリギリ現役で知りえ、そこから発展、邦楽用に昇華されたするあらゆるジャンルをリアルタイムで経験できた。jpop、ロック、フォークソング、ビジュアル系、メロコア、ジャズ、ミクスチャー、クラブミュージック的なエレクトロ、その他諸々。
ゴダイゴもOFF COURSEもチェッカーズも松田聖子もサザンもTUBEも長渕剛も松任谷由実も井上陽水もX JAPANも小室ファミリーもチャゲアスもグレイもラルクもLUNA SEAもイエモンもポルノグラフィティもゆずも19も浜崎あゆみも福山雅治も宇多田ヒカルも一青窈もエゴラッピンもラブサイケデリコも小島麻由美もモンゴル800もハイスタもシャカラビッツも175RもcapsuleもperfumeもRAMRIDERも椎名林檎も矢井田瞳もゴイステも銀杏BOYSもCoccoも平井堅も東京スカパラダイスオーケストラもNUMBER GIRLもアジカンもフジファブリックもSMAPもキックザカンクルーもRIP SLYMEもBUMP OF CHIKINもRADWINPSもACIDMANもブランキージェットシティもマキシマムザホルモンも…他にも諸々あるが。
小学生~大学生ぐらいの思春期にこれだけのジャンルのものに自然と触れられた。音楽番組が盛り上がっていた頃だし、ドラマや映画の主題歌で日常的に耳に入ってきた。
そんでそんな邦楽真っ盛りの頃、男子はちょうど中高生でバンドとかやりだすと洋楽も大人ぶって聞くようになり、ピストルズやジャニスジョップリンやディープパープルやらツェッペリンやらクイーンやらに遡ってうわなにこれクソカッケーって衝撃を受け、そっからニルヴァーナやレッチリの信者になるところまで一種のお約束だ。
そういえばセリーヌディオンとかマライアとかブリトニーとかアブリルラヴィーンとかが日本で割と露出するようになったのもこの時代やな。
ゲームにしたってちょうどファミン出始めでドラクエ1をやり、FF1をやり、初代マリオをやり初代ゼルダをやり、小学校からはスーパーファミコンで大いに熱中し、ゲームボーイで初代ポケモンや初代DQモンスターズに絶頂し、高学年になればセガサターンやPS、64などの次世代機が登場してCGに感動し、中高生ではPS2~3、ドリキャス、ゲームキューブでオンラインでの楽しさを知る。ファミコン以前のPCゲームがメインだった時代はまだゲームはマイナーな娯楽だったが、ちょうどファミコンが世に出回って世間的に広く認知されはじめたあたりで僕らはゲームに触れ初め、名作と呼ばれるゲームはほぼ全て現役30代達の思春期に驚くほどジャストタイミングで販売されている。
TVドラマやアニメ、映画、漫画なんかもそうだ。国民的人気を誇ったドラゴンボールも思いっきり幼稚園~小学生時代に連載中。アラレちゃんやうる星やつら、北斗の拳、気まぐれオレンジロード、タッチなんかは夕方のTV番組の再放送などでめちゃくちゃ流れる。ジャンプが歴代最高部数650万部を打ち出した黄金期にまさしく小学生だった世代。ワンピもナルトもスタートしたのはまさしく中高生の時。エヴァが流行り、たまごっちやデジモンが流行り、カウボーイビパッブもスレイヤーズもレイアースもハルヒやコードギアスやガンダムやマクロスも思春期に楽しんだ。
通信機器もか。ポケベルから白黒画面のケータイ、フルカラー画面化したi-mode、ウィルコムのPHS、藤原紀香がCM出てて16和音が売りだったボーダフォン、あの頃はauとかの絵文字はダセーって言われててdocomoの絵文字がトレンドで、ちょうど大学卒業して数年でスマホが世に出てきて。ああ音楽プレーヤーのCD、MD、mp3のデジタルへの変化もか。ネットもだな。
挙げたらキリがないが、あらゆるカテゴリーにおいて幼少期~20代半ばのあたりで0や1が10、100、1000となっていく爆発的な成長を現役で肌で感じ取ってこれた世代だ。
ここに関しては、掛け値なしで本当に恵まれているなと思う。ただ、その分、今の新しいモノに沢山触れても「あぁ、あれの二番煎じか」とか「あぁ、あれに似てるな」とか「あぁ、あれのオマージュか」とか自分の中で早くも老害化した感想しか出てこなくなってきているのが本当に悲しい。
あとゲームでいえばFFシリーズ筆頭に全盛期を知っている分、劣化しまくる今を見るのも本当に悲しい。TVドラマで思春期に初めて濱マイク見た時にめちゃくちゃカッコよかった永瀬正敏がさ、当たり前なんだけど今はもう50代でやっぱりあの頃のスリムさとか尖った見た目がなくなっててちょっと勝手に悲しくなった。
2010年代は微妙だったなー。AKBとかソシャゲとか本当にさ…。
なんか他にありますか?あの頃のゲームのドラクエみたいな、漫画のドラゴンボールみたいな、映画タイタニックみたいな、お笑いのダウンタウンやとんねるずみたいな、日本全部が熱狂したような社会現象になるようなものって日本国産で今他になんかありますか?ちょっと前の進撃の巨人ぐらい?はぁFGOとかもソシャゲの時点でやる気しないんだよなー。昔PCで原作の月姫とFateやってるしさ。ああ、これが老害か。
どんどん自分がつまんなくなっていくわ。
素直でいることの難しさ
思春期からネットで色々な事件や色々な意見(という名の悪意)に晒され続けていると素直でいることが難しくなる。自然人、法人関わらず、受け取った情報を素直に信じられなくなる。
例えば、バレンタインデーが製菓・流通業界によって作られたというのは比較的有名だと思うが、ファッション業界でも昭和の時代から「来年の春はこれを流行らせる」という意図をもって雑誌やTVなどのメディアを駆使して需要を無理やり作ってから生産に入ってきたし、もっと大雑把に言ってしまえば、悪の組織電通を通してあらゆる業界が彼らにお願いをして流行を作り、大衆を扇動して莫大な利益を生んできたというのは、もう大抵の人にとっては既知だろう。
ビジネスに限らず、少し世界史を紐解けば、冷戦時代やその前の植民時時代に至るまで悪の列強国、英仏墺西葡米ソを中心にどれだけ自国の宗教やイデオロギーやハプスブルク家ブルボン家や王族などといった支配層の既得権益や新たな利益の確保の為(一言で言ってしまえば、要は自国の利益の為)に、世界中を巻き込んでありとあらゆるプロパガンダや代理戦争を引き起こされたのかは、よく分かるだろう。
凄く端的な有名どころで言えばパレスチナ問題。あれ本当にクソでしょ?ああいうことがアフリカ諸国やアジアや南米でも腐るほど起きたわけで。国というめちゃくちゃ大きな単位でさえもそうなわけで。
そしてネット上でも。もっと小さくて狭い範囲の僕らの日常に関わるありとあらゆるカラクリや悪意を教えられるわけで。あるいは今この瞬間に、とある悪意に晒されて騙されていく人たちをネット上で目撃したりしてしまうわけで。
なんだろう、下らない陰謀論の一言とかで済めばいいんだけど、そうじゃないんだよね。事実として騙した側、踊らせた側からの暴露なんて腐るほどあるわけで。あるいは歴史のようにれっきとした第三者の観測者がいるわけで。つまりどれも事実なわけで。
こういうものを嫌というほど見せつけられて、やっぱり人はそこに嫌悪感を覚えるじゃない?自分は騙されたくないなって思うわけじゃない。オレオレ詐欺に引っかかって数千万だまし取られたジーサンバーサン見て、うわあ…ってなるわけじゃない?
そうなると、もう全てが疑心暗鬼になるわけ。
例えば俺なんて家買った時だってすっげー嫌な客だったと思うよ。もう関わる前の段階から決めつけてるわけよ。不動産会社なんてクソだって。こいつら人を騙して仲介料をだまし取るだけのゴミクズなんだとかって。勧めてくるローンとか火災保険とか地震保険とかの商品とかも全部疑うわけ。おいなんだこのゴミ?舐めてんのか?みたいな態度を取っちゃうわけ。
色々見て自分の意思で、この家買おっかなーって考えたのにだよ?(笑)なのに散々ゴネるわけ。比較のデータ全部出せとか、ここもっとこうしねーならやーめた、とかって直前で。極力全てのありとあらゆる情報を吐き出せて、相手の利益を削って削って、もうここまでしか本当に無理です勘弁して下さい、っていうかもうなんなら止めて下さって大丈夫ですって担当が本当に泣いちゃうぐらいまで詰めて詰めて、それでやっと疑う気持ちがほんの僅かに緩和されるわけ。
数年前に一人目の子供が生まれた後もさ、ハーフバースデーどーする?とかって言われて耳を疑ったわ。なにその行事?オレがガキの時はんなもんなかったよって。でも初めて聞いた2秒後には、あぁ写真業界が少子化による売上低下を補填する為に作り上げたバレンタインデーかってすぐ理解して鼻で笑った。鼻で笑いながら結局デレデレして○○ちゃん可愛いでちゅねーとか言いながら写真撮りに行ったけど。
で、まあ経済活動一つとってもこうなっちゃうわけで。
これだけに留まらず、さらに読書とかにも響く。
偉人の言葉とか成功者の秘訣的とか心理学に基づいた考え方とかでさえも全部疑っちゃうし、大体意味を理解しても数秒後には「いやでもこういうケースだったら当てはまらないでしょ?」とか「それつまり○○の代わりに○○を放棄するって考え方だよね?」とか反証やデメリットが物凄く浮かんでしまう。
情報に大してソースを求めるのは当然だけど、そのソースに対しても、必ず疑いを持ってしまうし、そもそも何らかの情報に触れる時点で誰かのバイアスにかかってその情報が意図的に晒されてるわけだから、その意図を考えて疑ってしまう。
こういうのって生きづらさの筆頭だと思う。自分のことだけど、逆にバカでしょ。
こんなことばっか考えてもあらゆることでミニマリストにでもなるしかないわけで。
でもジジババが詐欺で騙されてたらそれは自業自得ってどっかで思っちゃうわけで。
バランスって難しいんだ。
どこまで騙されることを、踊らされることを許容するか。
永遠の課題である。
嫉妬の向かう先
https://headlines.yahoo.co.jp/article?a=20190404-00000036-sasahi-life&p=2
上の記事でのひろゆきの発言「みんな嫉妬の対象がズレてる」「なぜ庶民は政治家何世みたいな何もしないでいいような生まれつきの金持ちを妬まず、一代で社長になったような実力者を叩くのか」は、多分ひろゆきと庶民との間でそもそもの根底の認識が食い違っているから生まれた意見なのだと俺は感じた。
あくまで個人的な考えだが、おそらく、生まれつきの金持ちってのは、心のどこかで庶民から勝手に見下されてるケースも多い気がする。
「まあアイツは何億も持ってるしコネも物凄いけど、所詮は全て先祖からただで受け継いだだけだしな、そりゃ嫌味もなくイイ奴だけど、個体としての純粋な能力だけならてんで大したことない。むしろ、アイツがもし仮に凡人として生まれてたら、まず間違いなく俺の方が上等な人生を歩んでたんじゃないかな?」
みたいな。
生まれつきの金持ちって、庶民からこういう風に心の奥底で思われやすい。
本質的なところでは自分と大して変わらない人間だろうという思い込みによる安心感がどこかにある。
逃げ道が残されている分、溜飲を下げやすい。
つまり、庶民である自分のプライドは根本的にさほど脅かされない。
だから、生まれつきの金持ちはよっぽどヘイト買うような言動を起こさない限りは、言うほど庶民から攻撃されない。
だが、成り上がりで資産家になった者に対しては違う。
平凡な自分と同じくらい、あるいは下手したら自分よりもっと恵まれない環境にいながら見事自身の力だけで成功をおさめた実力者…。
そういう彼らに対しては全く言い訳ができない。自分の全てを上回っている。間違いなく。絶対に。逆立ちしても勝てない。と、庶民は嫌になるほど理解させられてしまう。
つまり、勝手に比較して根本的なプライドをこれでもかと脅かされてしまう存在だ。
しかも一代で成り上がった実力者というのは、大抵の場合、自分の事が大好きで、自信満々で、自分の中の芯に揺るがない信念や夢や野望をしっかりと携えている。
それらは、先祖から莫大な資産を受け継いだ選ばれた者達ですら、中々持ち得ないものだ。自らをパイオニアとして勝ち続けてきた、運と実力の両方を兼ね備えた更に選ばれた者たちだけが成功の副産物として手に入れることのできる宝物だ。
庶民は、そんな彼らの性格も許せないのだ。
自らの矮小さが、より際立ってしまうから。
だから、庶民は成り上がりこそに強く嫉妬し、成り上がりこそを激しく叩き続けるんじゃないか。
そう感じた。