冷凍都市のくらし、アイツ姿くらまし

独立して5年経った個人事業主のあれこれ

素直でいることの難しさ

思春期からネットで色々な事件や色々な意見(という名の悪意)に晒され続けていると素直でいることが難しくなる。自然人、法人関わらず、受け取った情報を素直に信じられなくなる。

 

例えば、バレンタインデーが製菓・流通業界によって作られたというのは比較的有名だと思うが、ファッション業界でも昭和の時代から「来年の春はこれを流行らせる」という意図をもって雑誌やTVなどのメディアを駆使して需要を無理やり作ってから生産に入ってきたし、もっと大雑把に言ってしまえば、悪の組織電通を通してあらゆる業界が彼らにお願いをして流行を作り、大衆を扇動して莫大な利益を生んできたというのは、もう大抵の人にとっては既知だろう。

 

ビジネスに限らず、少し世界史を紐解けば、冷戦時代やその前の植民時時代に至るまで悪の列強国、英仏墺西葡米ソを中心にどれだけ自国の宗教やイデオロギーハプスブルク家ブルボン家や王族などといった支配層の既得権益や新たな利益の確保の為(一言で言ってしまえば、要は自国の利益の為)に、世界中を巻き込んでありとあらゆるプロパガンダや代理戦争を引き起こされたのかは、よく分かるだろう。

 

凄く端的な有名どころで言えばパレスチナ問題。あれ本当にクソでしょ?ああいうことがアフリカ諸国やアジアや南米でも腐るほど起きたわけで。国というめちゃくちゃ大きな単位でさえもそうなわけで。

 

そしてネット上でも。もっと小さくて狭い範囲の僕らの日常に関わるありとあらゆるカラクリや悪意を教えられるわけで。あるいは今この瞬間に、とある悪意に晒されて騙されていく人たちをネット上で目撃したりしてしまうわけで。

 

なんだろう、下らない陰謀論の一言とかで済めばいいんだけど、そうじゃないんだよね。事実として騙した側、踊らせた側からの暴露なんて腐るほどあるわけで。あるいは歴史のようにれっきとした第三者の観測者がいるわけで。つまりどれも事実なわけで。

 

こういうものを嫌というほど見せつけられて、やっぱり人はそこに嫌悪感を覚えるじゃない?自分は騙されたくないなって思うわけじゃない。オレオレ詐欺に引っかかって数千万だまし取られたジーサンバーサン見て、うわあ…ってなるわけじゃない?

 

そうなると、もう全てが疑心暗鬼になるわけ。

 

例えば俺なんて家買った時だってすっげー嫌な客だったと思うよ。もう関わる前の段階から決めつけてるわけよ。不動産会社なんてクソだって。こいつら人を騙して仲介料をだまし取るだけのゴミクズなんだとかって。勧めてくるローンとか火災保険とか地震保険とかの商品とかも全部疑うわけ。おいなんだこのゴミ?舐めてんのか?みたいな態度を取っちゃうわけ。

 

色々見て自分の意思で、この家買おっかなーって考えたのにだよ?(笑)なのに散々ゴネるわけ。比較のデータ全部出せとか、ここもっとこうしねーならやーめた、とかって直前で。極力全てのありとあらゆる情報を吐き出せて、相手の利益を削って削って、もうここまでしか本当に無理です勘弁して下さい、っていうかもうなんなら止めて下さって大丈夫ですって担当が本当に泣いちゃうぐらいまで詰めて詰めて、それでやっと疑う気持ちがほんの僅かに緩和されるわけ。

 

数年前に一人目の子供が生まれた後もさ、ハーフバースデーどーする?とかって言われて耳を疑ったわ。なにその行事?オレがガキの時はんなもんなかったよって。でも初めて聞いた2秒後には、あぁ写真業界が少子化による売上低下を補填する為に作り上げたバレンタインデーかってすぐ理解して鼻で笑った。鼻で笑いながら結局デレデレして○○ちゃん可愛いでちゅねーとか言いながら写真撮りに行ったけど。

 

で、まあ経済活動一つとってもこうなっちゃうわけで。

これだけに留まらず、さらに読書とかにも響く。

 

偉人の言葉とか成功者の秘訣的とか心理学に基づいた考え方とかでさえも全部疑っちゃうし、大体意味を理解しても数秒後には「いやでもこういうケースだったら当てはまらないでしょ?」とか「それつまり○○の代わりに○○を放棄するって考え方だよね?」とか反証やデメリットが物凄く浮かんでしまう。

 

情報に大してソースを求めるのは当然だけど、そのソースに対しても、必ず疑いを持ってしまうし、そもそも何らかの情報に触れる時点で誰かのバイアスにかかってその情報が意図的に晒されてるわけだから、その意図を考えて疑ってしまう。

 

こういうのって生きづらさの筆頭だと思う。自分のことだけど、逆にバカでしょ。

こんなことばっか考えてもあらゆることでミニマリストにでもなるしかないわけで。

でもジジババが詐欺で騙されてたらそれは自業自得ってどっかで思っちゃうわけで。

 

バランスって難しいんだ。

どこまで騙されることを、踊らされることを許容するか。

永遠の課題である。