冷凍都市のくらし、アイツ姿くらまし

独立して5年経った個人事業主のあれこれ

一億総発信社会になったことでのメリット・デメリット

IT化の成熟により一億総発信社会になったメリットは、監視社会になったこと、一部において評価経済が成り立ったことだ。


デメリットは、無数のバカが発信することで良質な情報が埋もれる事と、結局は第2第3のマスゴミが生まれたことだ。


監視社会は、生きづらさを助長もするが、反面、一般的な善良な市民にとっては恩恵を授かる場合も多い。


例えば、煽り運転、学校のイジメ、ブラック企業の仕打ち、上級国民による殺人等々、昔なら被害者と極一部の人間以外には全く知られずに、アッサリと何の処罰も無しに闇に葬られたであろう事件や事故の数々が、今ではネットで晒されることで大炎上し、大衆の関心が集まることで、なあなあな対応を許さず厳罰化や法整備が進んだり、重い処分に結びついたりする場面は割とある。


権力者にとってはエタヒニン同然の奴隷共が生意気にも徒党を組んできて厄介だろうが、一般的で善良な弱者にとっては世論を味方にできるのは心強い部分も確かにある。


また、どんなに大企業が莫大な広告費を投じても、実態としてのレビューがすこぶる悪ければ商品やサービスは売れない=多数による評価が保証されたものが売れやすい。或いは、悪い部分や偽装粉飾はすぐ拡散・炎上する。という経済的観念の一般化、即ち社会により満足度がある程度担保された評価経済モデルは、やはり一消費者に過ぎない弱者からすると、騙されるリスクが低減するので、ありがたい事だ。


逆にデメリットなのは、無数のバカが情報を錯綜させたり無価値なゴミを大量に産み出すことだ。悪貨が良貨を駆逐するように、検索サイトのトップにデマ情報や胡散臭いステマ記事、或いは不当にディスった記事など、著しく偏った主観による情報が並んだりするのが一例だ。


また、有益無益問わず情報自体が数百億単位で氾濫するので、全ての個別的情報に物理的にに目を通せない我々は、その上澄みを断片的かつ恣意的に取り上げるような、権力のあるITメディアに、結局の所、踊らされやすい傾向にある。


或いは、一部の評価経済というのは、ある程度多数の洗脳された信者がいれば、実を伴っていなくとも、その商品やサービスの価値を不当に高めてしまうという逆説的な効果も発揮してしまう。


それらに常に疑念を抱けないと、昔の新聞やテレビだけが情報源だった偏った時代とあまり変わらなくなってしまう。


或いは、一部の評価経済というのは、ある程度多数の洗脳された信者や雇われインフルエンサーがいれば、実を伴っていなくとも、その商品やサービスの価値を不当に高めてしまうという逆説的な効果も発揮してしまう。


ここに挙げたメリット・デメリットは、結局の所は全て表裏一体で、今も昔も受け手側の情報リテラシーに依存しまくる点は実はあまり変わらない。


ただ、昔に比べてあらゆる面において情報の総量は遥かに増えているので、多角的な意見・情報に触れ得るハードル自体は、間違いなく格段に下がったことは言うまでもない。


ただ、この一億総発信社会化によってもたらされる数々のメリット・デメリットを総括した上で極めて断言しずらい点は、それが最大多数にとっての幸か不幸か、という話だ。


個別的・部分的な面で見れば、少なくとも昭和の時代ならば秘匿され、絶対に触れられなかった情報にも、確かに今なら触れられる。


ただ、それが幸せな事なのか、というのはまた別の話なのだ。


真実は、時に絶望や苦しみを産み出す。


嘘は、時に希望や楽しみを産み出す。


突き詰めていくと、日本人の気質、民族性など、民俗学にも通じて来そうな気がする。