「手取り15万円」のトレンド入りについて
twitterでトレンド入りした手取り15万円について。
俺も、もっと賃金は全国的に上げるべきだと思う。
でも自分のことを考えると中々胸が痛くなってもくる。
例えば、仮に今、オレが完全に個人だけで月100万円稼いで
月80万円出費するような生活を送っているとしよう。
で、もっと稼ぎたいなーと思っても、たかが人間一人が
自分の時間を切り売りして手を動かして稼げる額なんて、
余程の才覚がないと、やっぱりある程度決まっていて、
今まで通り俺一人の力だけじゃ稼ぎを月200万とか300万とかに
ポンポンと増やしていくのは、結構難しいなと凄く実感している。
で、そうなると、必然的に人手を増やそうという思考に至る。
俺が今やっていることを、賃金を払って他の誰かにそのまんまやらせるのだ。
そうすると、俺は一カ月間丸々手が空くことになる。
その空いた手で、また新たな仕事を見つけてきたり、
今の仕事自体の分量をもっと増やしていったりするわけだ。
要は事業の拡大フェーズに当たる。
で、俺が最初に雇うその人の給料なんだけど、やっぱり多分20万になる。
俺が一人で100万稼ぐ仕事を、そのまんまの質・量でこなさせているのに、
その人は給料20万円しか貰えないのである。
何故なら、それ以上払うと俺が生活できなくなるからだ。
え?生活費を40万に減らせばいいって?ヤダ(即答)
それに、俺が空いた手で探し回った挙句、新たな仕事が生まれればいいが、
生まれないかもしれない。
産まれても半年間も1年間も、1円も利益が出ないかもしれない。
下手したら赤字になるかもしれない。
必然的に新規事業っていうのは、そういうリスクが常につきまとってくる。
また、新たな事業には手を出さず、単純に今の仕事量を増やしたとしても
それまで1人100万だった稼ぎが、仮に2人で150万円に増えた場合、
雇う人間に40万~50万も支払ってしまうと残りは100万円だ。
つまり、俺個人としては、今の稼ぎと全く変わらないということになる。
リスクのことを考えたり、あるいはリスクが極力なかったとしても
少なくとも二人でやってる意味をそこに見出そうとすると
支払額はやっぱり20万円以下になっちゃう。
それ以上出すなら、今のまま一人でやっている方が得ということになる。
という話なのだが、当然20万円で雇われている人にとっては物凄く割に合わない。
だから、人を増やすには100万の稼ぎを150万にするくらいじゃ全然ダメで、
少なくとも200万や300万にしないといけないわけだ。
そうしたら、俺が150万~200万取ったとしても、
雇っている人にもしっかり毎月50万~100万円を渡せるわけだ。まさにwin-win。
でもそう単純にいかないんだよね、大抵。
人が増えたからじゃあ利益も即2倍だ3倍だってのは大抵無理だ。
っていうか、人によっては自分が今やってることを20万円で
そのまま人にやらせて、自分はもう事業の拡大も何もしないで、
ニート同然に80万円稼ぎ続けることも可能なわけで。
そうなると完全なる「搾取」の完成だ。
やっぱ人間、楽して稼ぎたくなっちゃうし、一回その立場になったら、
もうその既得権益を絶対に手放したくなくなっちゃうからね。
その雇われている人を散々使い潰して、もし再起不能になったら
また代わりになる新たな人員を連れてくるだけ。
こうして世の中のブラック零細企業は回っているのだろうか。
要は経営者が楽する為に他人を生贄に捧げている状態だ。
まあこれからは今まで以上の急速な人口減で、こういう舐めた雇い方を
している零細は人が全然集まらなくなってそのまま潰れまくっていくと思うけど。
でも例えば、仮に毎月の売上100万で同業界の零細会社が
A、B、C、D、Eと5社あって、
それ以外には月売上1000万の大手のF社があったとして、
A~Eの5社が全部潰れてそこで働いてた人がF社に採用されたとして、
F社はまるで合併後のようにA~E5社分の業務も請け負うことになって、
月売上がそのまま1500万に増えたとして、じゃあ再雇用された元A~E社員の
給料が前と比べて目に見えて増えるかというと、やっぱり増えないと思うんだよね。
まあF社のノウハウでそれが2000万、3000万に増えるようになっていたら
また違ってくるかもしれないけど、世の中そんな優秀な会社ばかりではない。
なんだかなーって思う。
俺は鬼畜生になれないので、そう簡単に人は一人も雇えないです。
金持ちになって、じゃあ何がしたいのか?
とある記事でホリエモンが言っていた。
皆、金に支配されていて、金さえ稼げれば幸せだと思っていて、その癖、この質問に大抵の人は明確に答えられないと。
そして自分には物欲がなくて、貯金は愚かだと思っていて、貯金なんてものはまさに不安の指標にしか過ぎないので稼いだらその分使いまくって今しか出来ない経験を沢山して人間性やチャンスを豊かにした方がいいと。
なるほど、一部はとても良く分かる。
し、とても羨ましい考え方だと思う。
けどまあこの人、家族もいないし、やっぱり大抵の庶民の抱くそれとは違うものに幸せを感じてるんじゃないかなとは思う。もうそういうステージにいるんだろう。
子供が2~3人いて、それなりに交通の便のいい駅近のデカい家(最低限、家族全員分のプライベートルーム+どでかいリビングがあって庭も広い)住んで、子供全員に習い事好きなだけ自由にさせて、いつでも好きな学校に通わせられて、海外留学もさせてあげられて、毎月のように国内外のリゾート地に家族で海外旅行行って、料理は面倒だから毎日の一流シェフのメシ食って、移動も電車移動だと面倒だからどこ行くにも運転手付きの高級車で移動したいし、もっと言うなら掃除や洗濯でさえも自分達でしたくないからメイド的な存在を常に雇っていたいし、自分の外見に何か不満があるなら全身整形をしたいし、何なら愛人の2、3人囲ってたいし、行きたいイベントはどんなに競争率が高くても予約なし顔パスで全部行けるし、こういう生活を死ぬまでキープできるぐらい貯蓄もある。
金さえあれば、こういう自分のやりたい事が実現できる。
っていう風に思う人がこの世の中に沢山いても不思議じゃないと思うんだ俺は。
まあいわゆる消費欲だよね。社会に還元するとかノブレスオブリージュとか、そういう概念とは全く相反する欲求。
お金がないから今は出来ない。でもお金があったら実現できる。
自分(+家族)の、自分(+家族)による、自分(+家族)の為の。
そういう欲求。
別にそれをことさらに否定する必要はないんじゃないかと思う。
仮に、ここで列挙した欲を実現するには、それこそ年間1億円使い続けても足りないかもしれない。
それだけ毎年所得で稼ぐってのは凄く大変だ。普通は無理だ。
だから、普通はお金を稼ぐことに憧れを抱くんじゃないだろうか。
ホリエモンは実際にこういう生活を一度送って飽きたのかもしんない。
飽きたから、お金で実現できるものなんて大したもんじゃねーな。
やっぱこの世にまだない何かを生み出すことこそが一番だって思ったのかもしれない。
でもさ、大抵の人はまずそこに辿り着かないって。
辿り着いたからこそ思い直すことはあっても、まだそれを夢見ている人間達が、それを実現せずに悟るなんてことはまず無理だ。
大抵の庶民は金を稼いで何がしたいって?
この世のあらゆる贅沢を謳歌したいに決まってんだろ。
まあ分かる。金稼ぎが目的になっている人間より、金以外を夢や目的にしてがむしゃらに頑張り続けてそれを実現していく上で、結果的に大金持ちになっていたというケースの方が超富裕層の場合では実際ずっと多いだろう。
それは、そういう人がその人生の中年や晩年において、自然と、ある意味、必然的にとある分野で唯一無二の希少な存在になっていたりするからだ。
一部の芸能人とかそうだね。経済人で言えば金稼ぎの王様のバフェットでさえ私生活は何十年もすげー質素らしいし。
でもさ、皆が皆そんな何か異常なほど熱狂的になれる何かを持ってるわけじゃないって。
そこまで人生かけるほど好きなことなんて全然ねーよって人だっていっぱいいるって。
そういう人は、贅沢して自分が想像し得る最大限の三大欲求を満たすことを割と夢に見るだろう。
それの一体何が悪いのか。
やってもいないのに、無意味だったとか言えないでしょ。
やった後に無意味だったら、無意味だったって言えばいいのよ。
そんでまた別の生き甲斐を見つければいいのよ。
何百億円も寄付したり学校作ったり農業したり。
なぜ愛想や態度の悪い接客業がこの世には存在しているのか
そこらのコンビニでもレストランでもラーメン屋でも病院の受付でも薬局でも漫画喫茶でもサービスエリアの売店でも何でもいいのだが、個人的には3回~4回に1回ぐらいは、かなり態度の悪い店員に当たる。
別に見惚れるような100点満点の笑顔の接客を求めているわけではさらさらない。
例えば、近所のおばさんに「あら、こんにちわ」と声を掛けられて、少し高い声を出して「こんちわ~」と微笑みながら挨拶を返した経験は誰しもあるだろう。
仮にそれを75点とするならば、それをさらに下回った55点~60点ぐらいでも、接客を受ける俺としては全然御の字、及第点なのだ。
つまり、愛想笑いすらいらない。声だけ少し丁寧っぽい。それぐらいで十分。
なのに、それをとんでもなく下回る10点~30点ぐらいの接客をする人間がこの世には多すぎる。
なんだろう、もう俺にも俺以外の客に対しても常に何故か半ギレだったりね。喧嘩売ってるのだろうかと思うくらいにガンつけてきて無愛想で投げやりだったり。
勿論、偶々その日或いはその瞬間だけ気分や体調や虫の居所が悪いということもあるだろう。もしくは、少し前に当たった客が物凄いクレーマーだったりして、まだイライラが収まっていない時だってあるだろう。そりゃ人間だもの。
でも、これは俺の個人的な推測だが、そういう接客をする人間は、体調やストレスいかんに関わらず、基本的に常に態度が悪い気がしている。
まあこれはいわゆる普通の会社にもよくいる、常に態度が悪いオッサン上司とかにも言えることなのだが。
なんだろう、凄く不思議なのだ。
例えばその仕事が嫌で常にそういう不機嫌な態度になっているのだったら、他の仕事に就けばそれで済む話だ。
特にバイトやパートなんて工場でも事務でも腐る程あるだろう。
カースト制度のある国と違って、この日本では職業選択の自由が保障されている。
別に誰かから強制されてその仕事をしているわけではないだろう。
自分で選んで、自分がいいからその仕事に応募したはずだ。
或いは、日々の自分の人生や人間関係に不満を抱えていて、それが攻撃性となって無関係の客や同僚にまき散らされているのだとしたら、それも甚だ疑問だ。
無関係の人間に対して常に喧嘩腰だったり不機嫌な態度を取っていたら、必ず相手からも同じような嫌な態度を取られたり、場合によっては逆に周囲から嫌がらせを受けたりしてしまうだろう。
さらに言えば、それが原因で会社や店に客離れなどの実害を与えてしまえば、それはもう営業妨害や背任行為に近いものさえあるだろう。
少なくとも普通にさえしていれば、そういう自分発祥の余計なトラブルやリスクとは無縁でいられるはずだ。
なのに、常に仏頂面で不機嫌なのだ。
仏頂面な不機嫌で楽しいだろうか?幸せだろうか?
多分、楽しくも幸せでもないだろう。
そんな毎日が何百日も続いていくわけである。
冒頭にも書いたが、別にCM中の芸能人のように常に爽やかな笑顔でいる必要なんてないのだ。
ただ不機嫌ではなく、普通でいればいいではないか。
大抵の時は、無関係な人達に対しては50点でいればいいではないか。
それが出来ていない人間が、世の中には物凄く多いと思う。
なんで出来ないんだろう。だって、あらゆる意味で自分に損しか返ってこないだろう。
そういう人種はいわゆる底辺だから、負け組だから、落ちこぼれだから、という説明ではなかなか納得ができない。
人と関わるのが嫌なんだったら、一人で出来る仕事すれば(探せば)いいのに。
すごく、凄く不思議だ。
園児よりも狭い世界で生きる自分
子供が生まれてから数年。それまでのように友達と遊ぶこともほぼなくなり、月~金は仕事でオフィス通い。勿論オフィスでは一人だ。仕事柄、特定の客とかもいない。
漫画家や小説家のように一人で作業して、最後はそれを発表すれば終わりみたいな、そんな仕事だからだ。
内容も基本はルーチン化しているので、新しい事とか特になく、ずっとほぼ同じような、似たようなことを繰り返している。
そんで土日祝日は当然、子供の面倒を見て終わる。
そういう生活が大体千何百日間か続いてきた。
世界がすげー狭い。ビックリするぐらい狭い。
園児みたいな、いやむしろそれよりも全然狭い。
園児なら少なくとも幼稚園に行けば何十人かクラスにいるわけで。
色んな友達と人間関係を育んでいくわけで。
それに比べ、今の自分は嫁と子供以外との関わりはほぼ0だ。リーマン時代は少なくとも社内外の数十人と毎日関わっていたからとんでもない差だ。
さて、こういう生活を続けていると、どうなるか。
一年がマジでめちゃくちゃ早い。リーマン辞めてから数カ月間ニートやってたことあったが、今もあの時と同じぐらいの速さで時間が過ぎ去っていく。土日に家でダラダラ寝てたらあっという間に一日が終わったという経験がある人は多いだろうが、あれが365日続く感覚だ。
時間の体感速度は、歳を取るにつれて早くなるというのは有名な話だが、変化のない時間は特に早く感じるらしい。ほぼコピペのような毎日を過ごしていると、刺激が全くないので脳がいちいち細分化して記憶しないからだ。
家庭を持った20代後半までは、一年の中でかなり沢山の思い出があった気がしたが、ここ数年は本当に空白という感じで、言い方は悪いが、なんだかまるで刑務所に入ったみたいな感覚で、物凄く人生的に損をしている気がする。
いや、子供は可愛いから家庭を持ったことは全然後悔してないんだけど。
多分この感覚は、それまでバリバリ会社で働いて沢山の友達とも社交的に付き合っていたのに、子供が生まれたことで専業主婦になって子供二人が幼稚園に行くようになるまで数年間ずっと朝から晩まで家にこもりがちな育児生活をしている方々のそれと、かなり近いんじゃないかと個人的に思っている。
ただ、俺の場合は個人事業主だし一応通勤の為に一人で外出可能なので、やろうと思えば月曜の真昼間から一人でどこにでも遊びに行くことも可能なのだが、家では嫁が子供を見ているというのにそれは出来ない。おそらくやっても罪悪感まみれになる。
というか、そもそも論として昔と違い趣味らしい趣味もほぼなくなってしまったし、周りだって皆平日は働いているし、そんな中じゃあ一人でどこ行って何すんだ、というと結局特にしたいことも何もないのだが。
そう考えると、一週間の大半を占める仕事環境というのは、本当に大事だ。
一般的なサラリーマンなら職場に多数の人間がいるし、取引先も含めて、色々と日頃から互いに仕事の調整をしたり、雑談したり、飲み行ったりできるだろう。勿論、時に煩わしい人間関係が発生することとのトレードオフだが。
今の俺にとっては、それさえも羨ましい。
自分は〇〇会社に勤めていて、〇〇部に所属していて同期には〇〇がいて、先輩は〇〇で後輩は〇〇で上司は〇〇で、取引先は〇〇と〇〇と〇〇で。みたいな、そういう組織への所属意識・それが作る立場ってのは、社会的動物である人間のアイデンティティーを保つ上でも非常に重要だ。
今の俺はそれもない。世間から隔絶されたニートの時と意識はほぼ同じだ。
ムカつく上司も客もいないし、人間関係のストレスは完全0で収入もリーマン時代の2倍以上の1千万程度はあるが、それでもこの千何百日間続いた月~金の孤独感というのは中々に精神的にハードな苦痛をもたらしてくれる。
きっと、何かするべきなんだろう。「一人で」ではなく、「誰か」と。
でも果たして三十超えた男が一体今さら誰を誘って何をすればいいのか。
仮に今、似たような境遇の男友達が周囲に何人かいたとしても、それぞれ家庭の都合をつけて調整して集まった状態で、昔みたいに「よっしゃ皆で集まってモンハンやろうぜ!」とか「酒飲みながらゴールデンアイとスマブラと桃鉄でワイワイやろうぜ!」とかそういうことをする気はあまり起きない。
・・・・いい歳したオッサンって集まって何してんだ?
多分、こういう状態の成れの果てが「一人で頻繁にキャバクラ通いするオッサン」なんじゃないかと勝手に邪推しているが、いかがだろうか。
このままだと子供が巣立った後が、あまりにもつまらない人生だ。
島田紳助が昔「引退した後は金と健康と仲間の3つさえあれば幸せ」と何かで言っていた気がするが、本当にその通りだと思う。
そろそろ趣味を持つことや何らかのコミュニティに所属することを本気で考えていかないといけない。
…つってもなーーーーー!!(最初に戻る)
ネット上の「ちーん」vs「まーん」
両者の罵り合いが過熱し、まとめサイトなどでも頻繁に取り上げられるこの話題。
こんなもん皆そう考えてるだろうけど、結局のところ両者に言えることは、「ちゃんと異性から愛されたことがなかった」ってことだよね。
ちゃんと異性から愛されて、慈しまれて、大切にされたことがあったら、絶対に「異性」という大き過ぎる主語を使って十把一絡げに批判したりしないだろう。
愛されたかった。なのに誰も愛してくれなかった。イケメンのアイツは、可愛いアノコは、イツモイツモアイサレテルノニ…!!
そういう、思春期から今に至るまで延々と積もり積もった恨みつらみや劣等感、諦観が、果てしない憎悪や嫌悪に育ってしまった。
登戸の無差別殺傷事件の犯人が所謂「無敵の人」なのかどうかは、今となっては知る由もないが、少なくとも秋葉原の加藤は、逮捕された前後、こんなことを言っていた気がする。
「彼女さえいれば、自分はどこからでもやり直せた」
恋愛格差の著しい昨今において、例えば「異性から一度も愛されたことがない」ということが、無差別テロを起こす大きなきっかけとなってしまうケースがこれからも起きるとして、いまの社会はそれに対してどんなセーフティネットを事前に設けられるだろうか?
俺はぶっちゃけ、何もないと思う。
お見合い制度が早急に復活して広く一般化することはまず不可能だろうし、例えば加藤みたいな奴に吉原の高級ソープみたいな所に行かせても、「こんなのは真の愛でもなんでもない!虚しいだけだ!」とか言って余計に絶望を深めるだけな気がする。
結局「愛されたい」という欲求をしっかり満たすには、強制やビジネス上のサービスではなくて、「自分がいいなと思った相手から愛される」あるいは「愛を伝えて受け入れられる」ことでしか成し得ない気がする。
でもそれって、結局どんだけ自分で自分を変えられるか、しかないからな。
性格変える、話し方を変える、考え方を変える、見た目を変える、行動を変えるなど。
愛されたいなら、けれども何の努力もしないありのままの自分を誰も愛してくれないなら、誰かから愛される自分に自分で変えていくしかない。
貧困には、今のところ生活保護という社会のセーフティネットがある。
けれども恋愛に対してはない。
申請したら、自分好みの異性が家に来て自分を愛して同棲してくれる。そんな制度はない。
「一度も異性から愛されたことがない」という事実が、人の孤独感や絶望感を爆発的に増幅させるのだとしても、それを赤の他人は誰も解決できない。
生き甲斐があると家庭を持たなくなるものだろうか
やりたいこと、ありますか?
例えば世界一周旅行に行きたいとか。
一周じゃなくてもいいけど、どこかの国に住んでみたいとか。
ワーキングホリデーに行きたいとか。
小説家になりたいとか、俳優になりたいとか。
その為に毎日のように稽古に行ったり、何万字もプロット書いてますとか。
とにかく毎週のようにサーフィンやってますとか、山登ってますとか。
一人もしくは仲間同士でキャンプしまくってますとか。
とにかく国内旅行が大好きだとか、仲間とツーリングしまくってますとか。
とあるバンドやアイドルの追っかけやってますとか。
何でもいい。凄くハマってる趣味。
もうこれが無いとボクワタシ生きていけない!みたいなモノ。
俺は特にないんだよね。
学生時代は複数バンドやったりショーに出てみたりしたけど。
ちょっと危ない系のも含めて色んなバイトやったり。
就活のネタ作りの為だけに柄にもなくボランティア活動とかもやってみた。
アニメも漫画も読書も映画もゲームも鑑賞しまくった。
好きだったから服も買いまくったし髪も月一で奇抜な色に染め直していた。
一時期は一人でも友達とでもクラブばっか通ったりもしてみた。
遊びなのも本気なのも含めて恋愛も多少は経験した。
まあ、それなりに青春を謳歌した。
でも、約10年前、22、3歳あたりで社会人になってからは、やりたいこととか趣味らしい趣味とかほぼなくなった。
精々、据え置き用ゲームを週に数時間やったり、1ヶ月に1、2回漫画の新刊買って読んだり、たまに飲み行くぐらい。
なんだろう、凄くよくあるパターンだと思うんだけど、仕事するようになったら必然的に学生時代と比べて自由な時間が激減するようになって、そうすると今まではあれもこれもと手を出していたことが、ほぼ出来なくなる。
必然と迫られる取捨選択の時。
そこで気付くんだよな、ああ俺にとってアレもコレも別にそんな大事じゃなかったんだなって。
だって、別にやらなくても生活できるもん。
そうして一つ一つの事を削ぎ落としていくと、案外何にも残ってなかったりする。
仕事がようやく終わって解放感に満ち溢れた週末の土日の中で、重たい体や面倒くさい気持ちを吹っ切ってまで、どうしてもやりたい!という事の少なさ。
しかも、不思議なことにそうやって切った何かは、もうそれ以降どんなに時間があったとしても、もう以前と同じようにやりたいとは全く思わなくなるという。
結局ネット見ながら酒飲んだりする程度のことに一番幸せを感じてしまったりする。
という生活を続けてきて、「うーん、言うて当時やりたいこととか何となく興味があるようなものは学生時代にそれなりにやってきたしなー、もう金稼ぐぐらいしか今はそこまで興味ねーや」となっていたのが、社会人5年生を迎えた27ぐらいの時。
そんなこんなで会社を辞めて独立して、その後すぐに結婚して子供が生まれた。
でも、もし自分が幸運にも冒頭に書いたような、生き甲斐とも呼べる趣味を20代後半になっても強く持っていたら、結婚…というか子供を作っていたかどうかは結構怪しい。
だって、子供生まれたりしたら、もう絶対しばらく趣味だけに生きるような生活って出来なくなるじゃん。それに耐えられなかったと思うんだよね。
ただ、俺の場合はそういうのがなくて、漠然とただ自由な時間があるってのも割と苦痛だったから、それを埋めるように子供が入ってきたって感じ。
逆に今も自分のことで精いっぱいっつーか、やりたいことだらけで時間が全然足りなーいってキラキラしてるような人達は、まだ全然結婚の気配なかったりする。
俺は俺でそうやってキラキラして仕事以外の何かでとても充実している人を見ると、凄くいいな、羨ましいな、自分も何か好きなことがあるといいなって思うんだけどさ。
まあ色んなことに対して本当に興味沸かないんだよね。ついでに、いざやってみたら楽しいようなことであっても、続けることに対して億劫さが勝つ確率が凄く高いと思う。
そういう意味では、「子育て」っていうのは、そういう「何もなくなった自分」にとっては、とても救われるものがある。
はぁーあ、子供が小さいし二人もいるから休日も碌に遠出できないぜーなんて堂々と言えるのだ。
きっと子供がいなくても面倒くさがってどこにも行かないのに。
で、何もやることがない時期が数年続くと、多分それがかなりのストレスになる。
それが、子育てに追われている、子供の面倒を見ている、というだけで、ありがたいことに、何だか自分が凄くまっとうな余暇の使い方を出来ているような錯覚に陥れる。
そう考えると、そういった面でも子供に対して凄く感謝したい。
無趣味な暇人にとっては、育児は最高の趣味になるんじゃないだろうか。
勿論プレッシャーもあるよ。稼ぎ続けなきゃいけない。絶対に辞めれないって。
悩みだって沢山出てくるよ。子供の病気だったり集団生活だったり教育だったり。
でも、そういった面も全部ひっくるめてイベントになるんだよね。
一人でなーんもしてなかったら味わえなかった喜怒哀楽なんだよね。
まあじゃあ子供が独立する20年後以降はどーすんのって話なんだけどさ。
ちょうど50代前半かー。
何か見つけてないと、中年の闇に飲み込まれて死にかけてるかもしんねーな。
ほら、TOKIOの山口も離婚してからそーなったし、AAAのなんちゃらも30半ば超えて独身でやらかしたし、KAT-TUNのメンバーも割と大抵ヤバイことになってね?磯野貴理子の若い旦那も30前半迎えてやっぱ子供欲しいっつって離婚したわけでしょ。
多分さー、独り身でいて生き甲斐らしい生き甲斐がハッキリしてないと、日々噛みしめられるような多幸感を感じられていないと、中年の闇は思ってるよりずっと早くやってきて、30代~40代には慢性的に疾患するんじゃねーかな。
まぁ結局、子供に愛情を注ぐことは、いずれ必ずやってくるそれの先延ばしにしか過ぎないのかもしんないけど。
なんのために生まれて、なにをして生きるのか。
答えられないなんて、そんなのは嫌だ。
なにがキミの幸せ、なにをして喜ぶ。
わからないまま終わる、そんなのは嫌だ。
大人になってから気付く、やなせたかしの凄さな。
アンパンマンすげー。永遠のテーマやん。
自分は自分て無理。僕の仕事誰かしませんか?
よくSNS疲れだのなんだのに対してお決まりのカウンター解決法が「自分は自分と考えましょう」なんだけど、鼻で笑える。
人は社会的動物だから。
組織に所属して、人と比較して、常に自分がどのぐらい貢献してるか、どんなポジションにいるか、どんな人脈を築いてるか、とかないと80パーくらいの人はつらいんでなーい?
ちな俺は独立してからもう6年間ほぼ一人です。
リーマン時代に企画営業やってた時の5倍くらいのスピードで6年過ぎ去ったよ。
何故か?
人との関わりがないから。
環境の変化がないから、
社会との繋がりなんてほぼ感じ取れないから。
家族以外の人にほぼ会わないで毎日おんなじような作業だけ繰り返してるから。
毎日オフィスで100人以上と顔を合わせて、自分が担当する顧客、法人が数十とあった毎日と比べると、正直孤独感半端ない。
誰にも評価されない。誰にも叱られない。誰にも導いて貰えない。誰にも正解を教えて貰えない。
ただやるんだよ、毎日。
家族養うために、これで合ってるかどうか分からない、数年間続けてきた仕事を。
なんとなく。
断言するけど、リーマン生活の3倍給料貰ったとしても今の俺の生活に5年〜10年耐えれるリーマンは全体の2割もいないだろうね。
そのぐらい違うよ。
他人と比べない。っつーか比べらんない。
それさー、メチャクチャ辛いから。
無人島で暮らして年収3000万で楽しめる?
年収300万〜400万でいいから大学時代みたいに常に周りに楽しい人間関係ありまくる生活の方が幸せ〜って人も多いんじゃない?
まあこれは今の俺の仕事柄の所為もある。
例えるなら、一人で誰にも合わずに会社の追い出し部屋みたいな場所でパソコン開いてメモ帳に30万字毎月なんか描き続けたら給料100万出る仕事を6年続けてる感じだと思ってよ。
一応、毎月描くテーマは変えてね。
おいおい!そんなんラクショー過ぎるわ!って思う方いたら是非ご連絡下さい。報酬数十万円払うので丸々変わりに依頼します。