冷凍都市のくらし、アイツ姿くらまし

独立して5年経った個人事業主のあれこれ

ネット上の「ちーん」vs「まーん」

両者の罵り合いが過熱し、まとめサイトなどでも頻繁に取り上げられるこの話題。


こんなもん皆そう考えてるだろうけど、結局のところ両者に言えることは、「ちゃんと異性から愛されたことがなかった」ってことだよね。


ちゃんと異性から愛されて、慈しまれて、大切にされたことがあったら、絶対に「異性」という大き過ぎる主語を使って十把一絡げに批判したりしないだろう。


愛されたかった。なのに誰も愛してくれなかった。イケメンのアイツは、可愛いアノコは、イツモイツモアイサレテルノニ…!!


そういう、思春期から今に至るまで延々と積もり積もった恨みつらみや劣等感、諦観が、果てしない憎悪や嫌悪に育ってしまった。


登戸の無差別殺傷事件の犯人が所謂「無敵の人」なのかどうかは、今となっては知る由もないが、少なくとも秋葉原の加藤は、逮捕された前後、こんなことを言っていた気がする。


「彼女さえいれば、自分はどこからでもやり直せた」


恋愛格差の著しい昨今において、例えば「異性から一度も愛されたことがない」ということが、無差別テロを起こす大きなきっかけとなってしまうケースがこれからも起きるとして、いまの社会はそれに対してどんなセーフティネットを事前に設けられるだろうか?


俺はぶっちゃけ、何もないと思う。


お見合い制度が早急に復活して広く一般化することはまず不可能だろうし、例えば加藤みたいな奴に吉原の高級ソープみたいな所に行かせても、「こんなのは真の愛でもなんでもない!虚しいだけだ!」とか言って余計に絶望を深めるだけな気がする。


結局「愛されたい」という欲求をしっかり満たすには、強制やビジネス上のサービスではなくて、「自分がいいなと思った相手から愛される」あるいは「愛を伝えて受け入れられる」ことでしか成し得ない気がする。


でもそれって、結局どんだけ自分で自分を変えられるか、しかないからな。


性格変える、話し方を変える、考え方を変える、見た目を変える、行動を変えるなど。


愛されたいなら、けれども何の努力もしないありのままの自分を誰も愛してくれないなら、誰かから愛される自分に自分で変えていくしかない。


貧困には、今のところ生活保護という社会のセーフティネットがある。


けれども恋愛に対してはない。


申請したら、自分好みの異性が家に来て自分を愛して同棲してくれる。そんな制度はない。


「一度も異性から愛されたことがない」という事実が、人の孤独感や絶望感を爆発的に増幅させるのだとしても、それを赤の他人は誰も解決できない。