園児よりも狭い世界で生きる自分
子供が生まれてから数年。それまでのように友達と遊ぶこともほぼなくなり、月~金は仕事でオフィス通い。勿論オフィスでは一人だ。仕事柄、特定の客とかもいない。
漫画家や小説家のように一人で作業して、最後はそれを発表すれば終わりみたいな、そんな仕事だからだ。
内容も基本はルーチン化しているので、新しい事とか特になく、ずっとほぼ同じような、似たようなことを繰り返している。
そんで土日祝日は当然、子供の面倒を見て終わる。
そういう生活が大体千何百日間か続いてきた。
世界がすげー狭い。ビックリするぐらい狭い。
園児みたいな、いやむしろそれよりも全然狭い。
園児なら少なくとも幼稚園に行けば何十人かクラスにいるわけで。
色んな友達と人間関係を育んでいくわけで。
それに比べ、今の自分は嫁と子供以外との関わりはほぼ0だ。リーマン時代は少なくとも社内外の数十人と毎日関わっていたからとんでもない差だ。
さて、こういう生活を続けていると、どうなるか。
一年がマジでめちゃくちゃ早い。リーマン辞めてから数カ月間ニートやってたことあったが、今もあの時と同じぐらいの速さで時間が過ぎ去っていく。土日に家でダラダラ寝てたらあっという間に一日が終わったという経験がある人は多いだろうが、あれが365日続く感覚だ。
時間の体感速度は、歳を取るにつれて早くなるというのは有名な話だが、変化のない時間は特に早く感じるらしい。ほぼコピペのような毎日を過ごしていると、刺激が全くないので脳がいちいち細分化して記憶しないからだ。
家庭を持った20代後半までは、一年の中でかなり沢山の思い出があった気がしたが、ここ数年は本当に空白という感じで、言い方は悪いが、なんだかまるで刑務所に入ったみたいな感覚で、物凄く人生的に損をしている気がする。
いや、子供は可愛いから家庭を持ったことは全然後悔してないんだけど。
多分この感覚は、それまでバリバリ会社で働いて沢山の友達とも社交的に付き合っていたのに、子供が生まれたことで専業主婦になって子供二人が幼稚園に行くようになるまで数年間ずっと朝から晩まで家にこもりがちな育児生活をしている方々のそれと、かなり近いんじゃないかと個人的に思っている。
ただ、俺の場合は個人事業主だし一応通勤の為に一人で外出可能なので、やろうと思えば月曜の真昼間から一人でどこにでも遊びに行くことも可能なのだが、家では嫁が子供を見ているというのにそれは出来ない。おそらくやっても罪悪感まみれになる。
というか、そもそも論として昔と違い趣味らしい趣味もほぼなくなってしまったし、周りだって皆平日は働いているし、そんな中じゃあ一人でどこ行って何すんだ、というと結局特にしたいことも何もないのだが。
そう考えると、一週間の大半を占める仕事環境というのは、本当に大事だ。
一般的なサラリーマンなら職場に多数の人間がいるし、取引先も含めて、色々と日頃から互いに仕事の調整をしたり、雑談したり、飲み行ったりできるだろう。勿論、時に煩わしい人間関係が発生することとのトレードオフだが。
今の俺にとっては、それさえも羨ましい。
自分は〇〇会社に勤めていて、〇〇部に所属していて同期には〇〇がいて、先輩は〇〇で後輩は〇〇で上司は〇〇で、取引先は〇〇と〇〇と〇〇で。みたいな、そういう組織への所属意識・それが作る立場ってのは、社会的動物である人間のアイデンティティーを保つ上でも非常に重要だ。
今の俺はそれもない。世間から隔絶されたニートの時と意識はほぼ同じだ。
ムカつく上司も客もいないし、人間関係のストレスは完全0で収入もリーマン時代の2倍以上の1千万程度はあるが、それでもこの千何百日間続いた月~金の孤独感というのは中々に精神的にハードな苦痛をもたらしてくれる。
きっと、何かするべきなんだろう。「一人で」ではなく、「誰か」と。
でも果たして三十超えた男が一体今さら誰を誘って何をすればいいのか。
仮に今、似たような境遇の男友達が周囲に何人かいたとしても、それぞれ家庭の都合をつけて調整して集まった状態で、昔みたいに「よっしゃ皆で集まってモンハンやろうぜ!」とか「酒飲みながらゴールデンアイとスマブラと桃鉄でワイワイやろうぜ!」とかそういうことをする気はあまり起きない。
・・・・いい歳したオッサンって集まって何してんだ?
多分、こういう状態の成れの果てが「一人で頻繁にキャバクラ通いするオッサン」なんじゃないかと勝手に邪推しているが、いかがだろうか。
このままだと子供が巣立った後が、あまりにもつまらない人生だ。
島田紳助が昔「引退した後は金と健康と仲間の3つさえあれば幸せ」と何かで言っていた気がするが、本当にその通りだと思う。
そろそろ趣味を持つことや何らかのコミュニティに所属することを本気で考えていかないといけない。
…つってもなーーーーー!!(最初に戻る)