冷凍都市のくらし、アイツ姿くらまし

独立して5年経った個人事業主のあれこれ

BSS(僕の方が先に好きだったのに)というジャンルについて

古くは「からくりサーカス」、10年前なら「オナニーマスター黒沢」など、すでにその要素を多分に含んだ有名作品は枚挙に暇がないが、ここ数年間オリジナル同人界隈でNTRものが供給過多気味に生産され続けていく中で、最近一つのジャンルとして明確に呼称が付けられた。

 

その名も「BSS」。「僕の方が先に好きだったのに」の略称。

 

名付けセンスがあまりにも秀逸で笑ってしまう。

 

この呼称の中に、恋愛弱者の情けなさや被害妄想的な痛々しさといったものが非常に端的に含まれている。

 

概念そのものに固有名詞がないとフワフワとした「~~な感じ!分かるかなぁ?」といった具合でしか他者に伝えられないが、固有名詞が付いたことで、しっかりと地に足を付けてこの世に定着した。そんな感じがする。

 

自分のようにオスとしての魅力にどこか欠け、負け続けてきた人間にとって、このBSS命名化は、そういった出来事がこの世の中でごくありふれた事例・共通認識であるということを再認識させられ、非常に心地の良いものがある。

 

青春時代から結婚するまでに5人と付き合い、それ以外にキスだけとか愛撫だけとかセックスだけとかそういうの入れたら大体12~13人くらいだろうか。

 

そんな程度の経験値の自分が、これまでに負け続け、惨め極まりない醜態を晒した回数はその何倍にも及ぶ。

 

いわゆるチャラ男や陽キャの強さは、いちいち悲観的にならないことだ。

街中で100人にナンパして99人にシカトされたとしても彼らは傷つかない。

むしろ「一日で一人ゲットしたわwww」ぐらいの感覚じゃないだろうか。

 

ところが、自分のような豆腐メンタルのクソ雑魚は違う。最初の一人目にナンパして断られた時点でひどく傷つき、二人目に断られた時点で自我やプライドがほぼ完全に壊れかけ、三人目に断られた時点でもはや引きこもり確定みたいな状態だ。

 

そもそも、チャラ男や陽キャと女性を扱うときの価値観が違う。

 

チャラ男や陽キャにとって「好きになった女性」は「運命の人」ではないが、多数の恋愛弱者にとっては「好きになった女性」は「運命の人」となってしまうのだ。

 

その為、女性一人ひとりに対しての思い入れが、チャラ男のそれに対して凄く重い。

 

数年間同じバイトをしてきて、初めてこんなに可愛くて仲良くなれる女性ができた!好きだ!とか。

 

中高六年間を通して、初めてこんなに可愛くて仲良くなれる女性ができた!好きだ!とか。

 

とにかく、自分にとって心の底から好きになれる機会が少なかったりして、母数が圧倒的に少ない。

 

母数が圧倒的に少ない=非常に貴重なのである。

 

そして非常に貴重なので、失敗するわけにはいかないのである。

 

しかし、失敗するのである。

 

勇気を振り絞って告白して振られるのはまだいい。

 

そもそも昔から大好きな彼氏がいたり、告白の機をウジウジ窺っている隙に彼氏ができたりするわけである。

 

服でも鞄でもなんでもいいが買い物をしていて「お、これいいじゃん」と思って値札を見てみたら、明らかに他の商品よりも値段が高い。

 

生活していて、よくこんな場面に遭遇することはないだろうか。

 

自分がいいと思ったものは、皆にとってもいいものなのだ。

 

世の中の真理である。

 

自分一人が「イイ!」と思った女の子は、その裏で、その何倍、何十倍もの人数の男に同じように「イイ!」と思われていて、常にアプローチされているわけである。

 

そして、案の定、他の男に掻っ攫われていく。自分が知っている男だったり、知らない男だったり。

 

このようにして「もう二度と出会えないぐらい自分にとって非常に貴重な女」を他の男に取られ続けた人間は、劣等感の塊となるわけだ。

 

自分が選ばれなかったという事実が、人生最初で最後の大博打に負けてしまった時のような、文字通り「人生終わり」みたいな即死ダメージになってしまうのだ。毎回毎回。

 

そして、最終的には、ぼーっと街を歩いていたり、学校や社内をふと見渡した時に「ああ、アイツは俺よりずっとイケメンだ…」「ああ、アイツは俺よりずっと背が高くてスタイリッシュだ…」「ああ、アイツは俺よりずっとオシャレだ…」「ああ、アイツは俺よりずっと明るくて仕事ができる…」とか、いちいち他のオスと自分を比較して「そりゃこんな負け組で取柄の無いオスと付き合ってくれるメスなんていないよな…」と、より拗らせていくわけである。

 

そして、運よく付き合えたりしても、今度はNTRの悲劇が待っているのである。

 

こーゆーコンプレックスみたいなのってさあ、もう染みついて離れないんだよね。

 

結婚して子供ができて家庭を築いても、未だに劣等感に支配され続けていたりする。

 

こういうのを打破するには、全身しっかり筋トレして、身長はもう変えられないけど、支障が出まくる位ならいっそのこと顔面は整形して、服装もオシャレして、定期的に美容院に行って清潔感をキープし続けて、沢山の経験をして知見を広げて、仕事でしっかり儲けて、人と会う時は明るく楽し気で、みたいな状態をキープし続けていかないといけない。

 

例え、オラついた陽キャの、あるいはイケメン達の、あるいは仕事が出来るダンディで知的な経営者の集団に自分が突然属したとしても、顔色一つ変えずに「俺は俺だけど?」って言えるぐらい周りと比較して遜色ない自信に満ち溢れた自分になるしかない。自分で自分のことをそれなりに強いと評価できるオスになるしかない。

 

それをキープし続けて、周囲の人間や初めて会う人間からいつも肯定的な評価を受け続けるにならないと、結局いつまで経っても弱者としてのコンプレックスが鎌首をもたげてくる。

 

でも、めんどくせーからそこまで出来ないじゃん普通。中々。

 

そんなコンプレックスまみれの自分にとって、BSSの流行と、それに共感する人間の増加は、なんだか傷を舐めあえるダメな仲間が沢山できたみたいで、そして自分の中で努力しない言い訳がまた一つ増えて、今日もまた勝手にコンプレックスに苦しみながら、安堵するのである。

 

終わり。