冷凍都市のくらし、アイツ姿くらまし

独立して5年経った個人事業主のあれこれ

生きるという苦行とストロングゼロ的なもの

死にたければ死ねばいい。

 

でも死ぬのは怖い。痛いのは、苦しいのは嫌だ。誰でもそうだ。

 

生きる為には必ず金を稼がなければならず、それは言い換えれば怠惰を許さないことであり、さらに何も変化のない繰り返しの日々は苦痛なので潤いを与えるべく、そこに無理やりの楽しみを見出そうとするのも、人によってはまたとてつもない苦行だ。

 

要は、生きるってことは面倒くさいことや辛いことを無理やりにでも頑張ってし続けないといけないということだ。

 

あー、早くこの自意識から解放されたい。次に瞬きをした瞬間に、この世よからパっと消えてしまいたい。心からそう思う時がある。

 

今は幼い娘が二人いるので、その幼い命が、その監護責任が、ギリギリの所で自分になんとか生きる為の強制力や活力をもたらしてくれているに過ぎない。

 

もし俺が独り身ならとっくに死んでたかもしれないなと思う。

 

30も過ぎると友達や恋人に会って楽しいという感情や、何かしていて気持ちいいという感情の全てが、何も考えたくない時に飲むストロングゼロと同じようにただの現実逃避の一時的な麻薬に過ぎないんだと気付くようになる。

 

常に楽しいなんてことはほとんどの人にとってはありえなくて、あくまで一時しのぎの覚せい剤のような役割をそれらを果たしていて、僕らは常にそれらに縋って生きているのだ。(だって、セックスレスってだけで離婚しちゃう人も沢山いるんだぜ?)

 

生きるのがつらくなると、俺は宇宙の動画をyoutubeで見ることにしている。

 

あと、wikiで第一次・第二次世界大戦の死傷者とか天安門事件のような大量虐殺事件を調べることにしている。

 

宇宙の、特に地球とそれ以外の星の大きさとの比較、宇宙自体の大きさを視覚的に取り込むと、まるで自意識から解放されたように、自分の人生も、他人の人生も、この世の全ても、そんなあらゆるものがちっぽけで滑稽でどうでも良くなるからだ。

 

虐殺や戦争で若くして亡くなった人達が過去に何百万人、何千万人といると、不謹慎極まりないが、安心する。志半ばで泣きながら死んでしまった人達がこんなに沢山いるんだ。俺の人生の何千万倍なんだ。ああ今、俺は痛みからも苦しみからも逃げて、のうのうと生きていられるだけ幸せなんだって。カイジの人間競馬と一緒だ。

 

これらの行為も深夜のストロングゼロと一緒だ。ただの現実逃避だ。

 

100万稼いでも日々の消費に消えるだけ。1億稼いでも、日々の退屈が待っている。

 

心からやりたいことや人生の目標と言えるものが何もないというのは、すなわち絶望だ。死にたくない。ただそれだけで生きている。

 

人生は、長すぎる。30代前半でこれとかこれからどーすんだ。

 

若い時はスゲーバカにしてたけど世の中の宗教が人々の心に巣食う理由も、なんとなく分かってくる。

 

家族を養う立場にいるという事実を完全に無視して個体としての本音を言えば、

 

ああ、早くこの日々苦痛を生み出す肥大化した自意識から何の苦しみもなく今すぐ抜け出したい。

 

それだけだ。