冷凍都市のくらし、アイツ姿くらまし

独立して5年経った個人事業主のあれこれ

自分と世界とぶっ殺す覚悟と罪悪感

自分は、自分の人生においての主人公だ。

 

大抵の場合において、自分の人生の幸せを自分以外は誰も心の底から本気で考えてはくれないし、その幸せを掴む為の行動も全て自分次第だ。そして仮に大人になって職場で集団的なイジメにあったとして、身を挺して他人がそれを救ってくれたりもしない。自分で解決の糸口を探るしかない。あるいは自らの足で逃げるしかない。実の親だって助けるのは無理なのだ。時間的に、物理的に。

 

これは全て至極当たり前の話だ。

 

例えば俺が何かを見て、何かを聞いて、何かを思って、何かを考え、何かを主張する。

 

例えば、俺にとって善悪があって、これは良い、これは悪い。

 

これはカッコイイ、可愛い、これはキモい。そういう判断基準が存在していて。

 

例えば、酒に酔っ払って、万能感に酔いしれ、気付けば、心地よく眠る。

 

それらは生きていく上で当然、全て許された行為で、自然発生的なことだ。

 

そういうことを数十年間積み重ねてきて、今の俺に至る。

 

でね、話は少し飛ぶんだけど、いつものように繁華街を歩いていて、あるいは新宿駅みたいな雑踏まみれの駅内を歩いていて、大量の人間と擦れ違って。

 

そんな時にふと思う。

 

ゴミみたいな群衆1人1人の中に、俺と同じような感情や人生があるんだなぁって。

 

ただ、あるんだなぁって、そうは思うんだけど、不思議と全然実感は沸かないのよ。

 

スマホに釘付けのねーちゃんも、不機嫌そうに歩いているリーマンオヤジも、部活の重そうなバッグ肩にかけて歩いているにーちゃんも。

 

誰も彼も、俺と同じように色々なものを積み上げて、短くない人生を歩んできた、同じ価値を持つ、そこに何の優劣もない、何物にも代えがたい一つの生命体にも関わらず。

 

素直な実感としては、ただただ目障りで邪魔なゴミでしかない。

 

何の感情も湧かない。何なら目の前でそいつが突然血ィ吹き出してぶっ倒れたって。

 

当たり前だ。究極的に赤の他人だもん。心の底からどうだっていい。

 

ただただ、俺の邪魔になったり、俺の迷惑にならないように足早に立ち去るだけ。

 

そして、駅内で擦れ違う、あるいは繁華街で擦れ違う数百人、数千人という赤の他人も、間違いなく俺に対して同じように思っていて。

 

俺も、俺の隣をたまたま歩いているオッサンも、若い女の子も。

 

その場の周囲にいる1万人にとっては、どうでもいい存在でしかない。

 

そしてそれは、その1万人一人一人全てがその周囲にとって等しく同じ状態だ。

 

これを拡大していくと、世界の、日本の99.9999999999999999999%にとっては自分というのはどうでもいい存在で、それこそゴミに等しい。

 

大抵の人にとっては、あくまで自分の家族だとか学校の友達だとか会社の同僚上司だとか、0.00000000000000000001%ぐらいの物凄く狭い世界の中においてだけ、その人は「名無しのゴミ」ではなく、「〇〇さん」という人格と人生を持ったヒトだ。

 

でね、そんな大抵の人にとっては本当に心の底からどうでもいいゴミみたいな存在が、twitterやらブログやらyoutubeやらの何らかの媒体を通して、あるいは着飾ったり、自分なりの髪型恰好をしたり、肩をいからせて街中を闊歩してみたりして、隙あらば一丁前に「自分」を世界に発信しているわけですよ。

 

宇宙全体から見たチリ以下の存在が、懸命に何かを吠えてるわけですよ。俺は俺だーって、言葉で、あるいは全身を使って、世界に何か発信してるわけ。

 

それを「どうだっていい赤の他人」として見ている時、俺は他人がしているその行為を、凄く傲慢で押しつけがましくて恥ずかしくてみっともないと思うわけですよ。

 

でも、冒頭に書いた通り、それぞれの人生の主人公はそれぞれだ。俺もそうだし、俺以外の誰かにとっても例外なく皆そうだ。

 

でも、繰り返すが、個が個であることは、それ以外の99.9999999999999999999%にとっては死ぬ程どうでもいい、あるいは邪魔なものでしかない。

 

いやほんと無関心どころか、ただただ邪魔なんだよ駅とか街中の道歩いてて。

 

老若男女問わず、こいつら全員今すぐ死ねばいいのにって本当に心の底から何百回も思った。

 

多分みんな同じこと思ってると思う。それぐらい雑踏で目に映る赤の他人ってどうでもいいどころか害悪でしかないんだってマジで。前をとろとろ歩いてたり、自分の行く先を横から遮ったり、ぶつかってきたり、邪魔でしかないでしょ。

 

っていう、おこがましい意識の集まりが毎日毎日、何百万、何千万と集まってそれぞれが一応人生の主人公として自己主張したり、街をズカズカと踏み荒らしている状態というのが凄く気持ち悪いと思うし、自分はいつだって、それらを構成する中の「一人」という超最小単位でしかないという事実に、俺は無意識に酷く罪悪感を覚える。

 

そして、それが日本中のあらゆる所でぶつかり合って、煽り運転だとか殺人だとか喧嘩だとか事件だとかに毎日に発展していて。

 

かといって、自分にとってどうでもいい他人の目に振り回される必要もないわけで。

 

だって、堂々巡りだけど、自分の人生の主人公は、他の誰でもない自分だけなんだから。

 

っていう、改めて考えるまでもない当たり前のことをさ、毎日通勤中にふと思うんだけど、頭おかしくなりそうになる。

 

「こいつら今すぐ死なねーかな」「跡形もなく消えてくんねーかな」って、オレも、目の前の赤の他人もお互いに思ってんだぜ?

 

「目の前の人は〇〇さん」って認識できないだけで、こういうカテゴライズだからな。

 

一歩外に出ると、毎日毎日「個vs世界」の殺伐具合に辟易しますよ。