冷凍都市のくらし、アイツ姿くらまし

独立して5年経った個人事業主のあれこれ

不満があれば向上し、満足すれば停滞する

人生って何なん?

 

唐突だけど、よくそう思う。

 

例えば、今の自分に理想とするような稼ぎがなければ、努力して今より稼ごうとする。

 

だけど、もし現状に心から満足していたら、維持で終わる。

 

厳密には、時代や環境の変化に対応する為に維持するにもそれなりの努力は必要だったりするが、それだけでは稼げる額は基本的に維持で終わるだろう。

 

不満があるということは、満たされていないということ。心の底から幸せだと思っていないということだ。その状態が何千日間も続くのは、結構キツいものがある。但し、その不満を解消する為に、必然動き続け、様々な経験値が蓄積していくことなる。

 

だが、いつまで経っても心の底から幸せとは思えない。どこかに不満が燻り続ける。

 

反対に、満足しているということは、満たされているということ。心の底から今のままでいいと思っているということ。つまり、幸せな状態だ。但し、満たされ幸せなのだから、今と違った何かをする必要は一切ない。必然、動きは止まる。

 

だが、いつまで経っても心の底から幸せだと思える。心の平穏が保てる。

 

一体、どちらがいいのか?

 

と、ここまで書いて思う。

 

人間は、幸せな状態で停滞し続けることが、いつの日か幸せではなくなるのだと。

 

繰り返しの日々に、変化のない日々に、飽きてしまうのだ、と。

 

つまり、一定期間以上の満足や幸福は、そもそもありえないんじゃないかと。

 

だから、不満から始まり、その不満を解消する為に動き、満足し、幸せを手に入れて、暫くすればその幸せが続くこと自体に飽きて、不満を覚え、またその不満を解消する為に動く。

 

その繰り返しなのではないか、と。

 

生まれながらにして、走り続けることが前提でデザインされているのではないか。

 

何とも強欲というか、何とも罪深いというか。何とも燃費が悪いというか。

 

逆にこのサイクルから抜け出せたら、それはもう悟りだろう。涅槃だろう。

 

1000年以上前の人間も、同じようなことを考えて、それを何とか乗り越えようと出家したり修行していたのだと思うと、なかなかに感慨深い。

 

気が遠くなるような年月を越えて、どんなに科学や文化が発達しても、人間の本質というのは全然変わらないんだなぁとしみじみ思う。

 

我々には常に短期的な目標が、欲望が必要なのだ。

 

衣食住を揃え、性欲を発露し、惰眠を貪り、社会的な繋がりを保つことをスタートラインとして、常にそれ以外の、何か新しい強い欲望が、目標が。

 

その目標があること自体が、ある意味、幸せなのではないだろうか。

 

その目標が見つからないことは、ある意味、不幸なことではないだろうか。

 

今、俺は自分の生活に一度満足しきって、そして飽きた。

 

そして飽きたのに、次の欲望や目標が一向に見つからない。

 

無暗やたらにその欲望や目標を求めて彷徨う日々は、さながら真っ暗な海の中で当てもなくただただ漂う一隻のヨットのように、孤独で、果てもなく不安になるものだ。

 

明日生きれるかどうかも分からないアフリカの飢餓難民に比べて、いかに自分が幸せか。恵まれているか。そういう相対的な幸福論を、10年以上前から何度繰り返し自問自答し続けていても、それを心の芯に宿し続けることは出来ない。

 

気付けばもう数年間、もがき苦しんでいるような気がする。

大人になって色んなことに上達の限界点を感じる

子供を見ているとすさまじいスピードであらゆることが上達していく。お絵描き、色塗り、お喋りの上手さ、語彙の豊富さ、読み書き、ハサミの切り方、おかし袋の開け方、歌の上手さ、走るスピード、ジャンプ力、ipadやリモコンなどの各種デバイスの使い方etc。

 

それに比べて今の自分はどうだろう。

 

5~6年前と比べて仕事の質は大幅に上がっているだろうか?

 

作るメシの上手さは段違いになっているだろうか?

 

部屋や自分の普段着は数年前と比べてセンスが磨かれているだろうか?

 

毎日触っているパソコンのタイピング速度は上がっただろうか?

 

行政系の各種手続きなどは回をこなすごとにスムーズになっているだろうか?

 

数年前と比べて色んな街の色んな場所について少しでも詳しくなっただろうか?

 

・・・なんも変わってねーんだよなー。

全部そこそこ不都合は無いがそれ以上とはお世辞にも言えない程度の一定のレベルでピタっと止まっている。

 

仕事については6年前に作ったものが55点だったとしたら、3年ぐらい前から70点ぐらいにはなったが、そこから大幅なアップはない。今も精々70点~75点が関の山。

 

料理も変わらない。例えばほぼ初めてまともに料理をし始めた時は毎回油でギットギト、野菜から出た水でベチャベチャだった生姜焼きが、そこから半年ぐらいしてから毎回野菜と肉は最初分けてフライパンで炒めて、野菜はある程度水が出たらボールに移して水切って、肉は油がある程度出たらボールに移して油切って、最後にまたまとめて炒めるとか当たり前のことをし始めたことでギトギトベチャベチャとは無縁になったが、それだけで別に大幅に進化はしていない。うっまい定食屋の800円くらいの生姜焼き定食と比べるとやっぱ今も味は全然違う。

 

服のセンスとかもはや毎週のように色んな街の色んな服屋巡ってた20代前半までと比べて今は衰えまくっててやばい。自分には何が似合うのかすら分からなくなってる。逆に70点から45点ぐらいまで退化してるレベル。

 

パソコンのタイピング速度も変わってない。大学生の時くらいから変わらずeタイピングで言えばずっとA~Sぐらいで安定。それ以上にはならない。こんなにも毎日キーボードに触っているのに。

 

行政の手続きとか毎回ググりながら行うレベル。年一の確定申告もすでに6回目とかなのに今だ色々不安になって調べながら作ってる。頭沸いてるのかな?

 

イイ歳の大人になれば普通に日常生活を送っていくだけで自然と色んな街の店や遊び場ぐらい熟知するようになると思っていたがそんなことは無かった。全然分からん。

 

結局、大して努力せずに大して考えずに到達できるレベルっていうのは何事にもあって、そこまでは試行回数重ねてりゃ誰でも到達できるんだよな。それ以上になってくるともう生まれ持ったセンスだとか、もしくは、しっかり勉強して意識的に努力していかないと絶対に上達していかない。

 

例えば、毎日オレ達は当たり前に歩いているけど、正しい美しく見えるウォーキングフォームってのはあって、その正しいウォーキングフォームを身に着けるには色々矯正が必要になる。でも、なまじそんなこと知らなくたって今も普通に歩けるわけだし、それに今まで数十年かけて体に染みついてきた歩き方を変えなきゃいけないなんて、毎秒毎秒意識してたらストレス凄い。結構な苦痛だ。

 

それと一緒で、相当の覚悟・意識がないともうその壁は超えられない、身につかない。

 

要は、いかにめんどくさいと思わないで取り組めるかだ。

むしろ楽しいって思ってないと。

趣味とまでは言わなくても、その一歩前くらいの状態になってないと。

 

このご時世、その壁を超える為の技術や知識はありがたいことに世界に溢れてる。しかも無料で。スマホでいつでも、誰にでも手に入る。あとはただの意識の問題だ。

 

なのに色んな分野で全く上達してないって自分がとんでもなく怠惰な気がしてきた。

 

その壁に達するまでは結構楽しいんだけどね。ソシャゲのチュートリアルみたいに脳死状態でも気持ちよーくレベル上がっていくから。

 

そこから先を目指すと苦痛過ぎるんだよなあ。

 

でもさー、あらゆることに強い関心がそこまで持てないんだからしょーがねーじゃん?アゼルバイジャン

 

うーん、人生をもっと楽しむ為にも、もっと凝り性の人間に生まれたかった。

 

人生の最大の敵は「無気力」だわ。

脳内CPUが常に無駄なことに容量を裂きすぎていて辛い

これはニートみたいな、半ば引きこもり生活を続けている人には特にありがちな話だと思う。

 

自分は自営業で嫁も子供もいるが、独りで仕事をしている時間が多いかつその毎日はほぼ同じことの繰り返しなので、精神的にはかなりニートと被るものがあるので。

 

・幸せとは一体何かを考える。

学生時代(ナンバーガール風に言えば地獄絵図であるはずの黒髪の思い出)を思い返し、可愛い女の子達や沢山の男友達に囲まれてワイワイ楽しかったあの日々、尽きることのない趣味や部活動の数々、仕事後も毎日飽きもせず数時間はつるんでワイワイ過ごしたバイト仲間たち、学校にバイトに趣味、予備校通い、サークル活動、友達付き合いと忙しい毎日、枚挙に暇のない新しい出会いの数々、平行する多数の活動環境、未来への無限の展望を抱いていたあの頃の精神状態、思いもよらない嬉しいあるいは悲しい出来事の連続、などなど。

 

代り映えのしない今ではどれもこれも起きるはずのない刺激的な出来事が毎日のように起こった清純時代、もったいないからぶっ倒れるまで眠らない日々。それを平然とこなして乗り越えていっていた過去の若い自分の体力・精神力・経験値に驚き、今の何も生まない何年間もの日々との比較に愕然とし、過去の自分(言ってもたかだか10年位前)と今の自分とのあまりにも大きな差に絶望する。

 

とにかく楽しかった。沢山傷ついたけれど、まるで漫画ONE PIECEの冒険のように毎日毎日、毎月毎月、驚くべきほど沢山の新たな環境・刺激があった。思い出が生まれた。今はそれがない。

 

今は年収は人並み以上にある。家族もいる。セックスもしている。持ち家もある。なのに何故今自分はこんなにも満たされていないのか。喪失感に溺れかけているのか。過去に妄執してまうのか。俺は一体どうすればいいのか。その答えはどこにあるのか。

 

脳内タスクマネージャーを呼び出すと、常に目を見開いて起床している間20%ぐらいはこんなことにエネルギーを割いている。過去を省みて未来や今が好転するならいいが、ここ数年間は悩むばかりで時間の無駄にしかなっていない。

 

・日々の5chまとめサイト的な、twitterトレンド的なニュースを見た時

twitterなどでバズっているものを見て、自分が遥か昔大学生時代に思っていたことだったりとか、社会人3年目ぐらいに思っていたことだったりとか、とにかく遥か過去に何度も心の中で思ったようなことが文言や漫画化したりだとか色んな形で取り上げられていたりして、しかもそれに何万もの目から鱗です的な反応が寄せられていたりして(自分の中で)今更かよ、世の中って心底下らないな、薄っぺらいなーと鼻で笑う。

 

あるいは、どう考えても頭おかしい意見が取り上げられていて、しかも一定層の支持を得ていたりして、世の中とんでもないバカばっかだなー、こんな奴らとは話合いしても何の解決もできないんだろうなそりゃ戦争も起きるわこんな奴ら皆殺しにして分からせるしかないわと諦観すると共に、自分のいつまでも非寛容過ぎる性格に首を傾げる。

 

あるいは、飯塚事件を筆頭に、ジャパンディスプレイの幹部が何億円も横領した末(という筋書き)に「上の指示でずっと経理の改竄やってた」と暴露って間もなく死亡とか、小学校のイジメが原因で自殺者出たのに地域でそれを隠蔽とか、ジジババをゆるキャラと呼んで騙しまくっていたかんぽ生命の詐欺だとか、そういう既得権益や組織の闇みたいな記事を見た時に色々な考え・思いが逡巡し、かつ自分や自分の家族がその立場(加害者側・被害者側双方)に置かれたらどうすべきかを考えるも何の意味もないことに気が付くまで結構時間が経っている。

 

こういうことに多分10%ぐらい使っている。大抵一個人でどうこうしても憤りや無念を覚えるだけで分かりやすい解決策はまずないので考えても仕方がないことばかり。これも無駄極まりない。

 

・エロいこと

街でいい女を見かけた時、ネットでエロいグラビアアイドルを見た時、可愛いAV女優を見た時、円光や家出少女ネタ等で男が捕まったとかエロい記事を見た時。

 

んほ~、俺もハメて~。終わり。別に行動には一切移さないけどエロいことはしたくなるし、考えてしまう。でも倫理的・道徳的な観点からして実際の行動は全くしないので特に意味はない。5%。

 

・ゲームや漫画のこと

今、家には2千冊ぐらいの漫画はある。漫画喫茶でも沢山漫画は読んだ。プレイしたゲームもファミコン時代~PS4・PC数えて100本、200本以上は余裕であるだろう。有名なジャンプ系やNANAみたいな少女漫画など皆が知っているようなものは大抵読んでいる。それでも毎日のように新作漫画は生まれる。新作ゲームは販売される。何かこう感受性が衰えまくった今の自分があっと驚くような漫画はないか、ゲームはないか。ネットで探して、「うーん」とか「おお、これはどうかな」とか。正直キリがない。そーゆーの。5%。

 

ちなみに映画はバタフライエフェクトが凄い好きでした。ゲームだとライフイズストレンジが似てる系統だよね。小説だと小林泰三玩具修理者の中に入ってる酔歩する男が凄い好きなので多分そういうのが好きなんでしょうね。

 

・どこかへ旅立つこと

離島に行きたいです。外国に行ってみたいです。そんで夜に地元の人と居酒屋やバーで触れ合ってみたいです。自分とはまるで違う人生を歩んできた方々と酒で記憶がなくなるまで交流したいです。過去の自分云々とも被るけれど、今のこのとにかく繰り返しの代り映えがしない毎日から脱却したいのです。まるで東北で生まれて東京への上京をひたすら夢見る若者のように。ええ、家族で3泊したら15万かかるんすか…うわたっか。完。5%。

 

・仕事とか貯金とか将来の展望のこと

ああー、仕事したくねー。でも毎月息吸ってるだけで40万かかるしなー。え、贅沢じゃね?フッツ―に贅沢じゃね?なに呼吸してる権利だけで40万って。俺一人だったら独り暮らし家賃食費込みで15万くらいで余裕で生活できるんすけど。あー忘れてた40万の内15万は住民税・健康保険・個人事業税・俺と嫁の国民年金だったわー。なんだそっかー年間180万程度かー。そっかそっかあっはっは。税金死ね。マジ死ね。200万近く余分に稼ぐのがどれだけ大変か、その200万近くを使わないで貯金しとくのがどれだけ苦痛か、その200万近くが一括の支払いで消える絶望感がどれほどか。政治家官僚ども、お前らに分かるのか。死ね、マジ死ね。

 

稼いでも稼いでも貯金が全然増えないんだけど。ええー、長女も次女も大学行きたいってー?ええーしかも浪人するってー?・・・10数年後そうなったらどーすんのマジで。

 

えっと・・・インボイス制度?ええー?個人事業主は年収1000万以下でも消費税を払わないといけなくなるのかい?(CV:マスオさん)それって実質10%手取りが減るってことだよね?びゃあああああああああああああああああああああああああああ!!!!

 

国、政府、財務省への恨みつらみ。これも上述の見知らぬ組織の闇と一緒で個人がどうこう考えてもまるで意味がない。考えるだけ無駄。でもすげームカつく。10%。

 

・白髪とかアレルギーとか病気とか体のこと

ええ…ヒゲめっちゃ白いんだけど。言って30前半だよね?なにこれ。あれ!?頭頂部も白っっ・・・くない?つーか前もちょっと…これ…薄…キテない?ゲホッ、ゲホゲホ!うわなんか腕の内側赤くなって…か、かゆっ!なにこれ!ググっ…「ハウスダスト」ああ~。

 

20代半ばとは隔絶した体の異変の数々。33でヒゲが何本も真っ白ってさぁ。今までどんな環境にいても何もなかった体が些細なホコリとかでアレルギー発症。なにこれ。人生100年時代とか笑わせんじゃねーよ。心は25~26歳ぐらいの時となんも変わってねーのに体だけどんどんどんどんジジイになってんじゃん。体重も22の時は52キロでモデルみたいな細見体型だったのに今70キロぐらいあるしよー、どうすんのこれ。10%。

 

・年相応の恰好とは何か

年を取るにつれてなんかこうイイ靴履いてなきゃなんねーとか、まともな時計の一つでもしてなきゃいけないかなーとか。そーゆーそれなりの身だしなみしてなきゃなんねーかな?とかそういうのが纏わりついてくる。いや誰かに言われたとかじゃなくて自分の中で、いわゆる世間的な強迫観念に勝手に晒されてる。すげーめんどくさい。ちなみに10代の時は男版きゃりーぱみゅぱみゅみたいなカッコばっかしてたので(髪の毛はひと昔前のゆめ可愛いに該当するような青とかピンクと金とかでした)30代にふさわしい恰好も全然分かりません。娘の授業参観とかどーすんの。どうしたらいいの。今は無難に黒髪ツーブロックゴリラです。5%。

 

などなど。これまでで大体70%ぐらい行っただろうか。

こうやって思い返してみると学生時代・独身時代はもっと単純だった気がする。

 

楽しいことしたい!50%。

セックスしたい!50%。

終わり。

 

みたいな。そりゃ今は息苦しいわー。(大半は無意味なのに)考えることすげー多いもん。自ら望んだからとはいえ、一丁前に親になっちまったし。

 

でもさー、家庭持って生きてる皆、主婦だろうが旦那だろうが、みんなこんな感じで頑張ってんだよなーきっと。マジでスゲーよ。俺も頑張るね。(無理やりポジティブ)

親への感謝を押し付けてくる奴は全員死ね

俺には子供が二人いるが、勝手に作った。

 

間違いなく、俺と嫁の判断で、至極勝手に、誰から頼まれたわけでもなく、自らの都合で、自らの希望で。

 

そして、これから子供にどれだけ時間とお金をかけたとしても、それも同じく全て自分の判断で行ったことだ。

 

それは、1ミリの間違いもなく、全て俺ないし嫁のエゴだ。

 

そりゃ自分の子供に「この家に産んでくれてありがとう、幸せだよ」なんて言われたら親としては嬉しい。

 

ただ、その「感謝」を子供に当たり前のように押し付けるのは100%、絶対に、何があっても、間違いなく、どうかしてるほどに、間違っていると断言できる。

 

当たり前のようにどころか、ほんの僅かにでも子供に忖度させようとするのすら、絶対間違っている。

 

そもそも、感謝される為に産んでない。育ててない。

 

それに、生きることはそんなに素晴らしいことか?

 

人一人が天寿を全うするのがどれだけ大変か。

 

鬼塚ちひろが月光で十数年前に歌った「I am God`s child この腐敗した世界に堕とされた」にあるように、普通に人生はキツいだろ。

 

どんなにイヤでも生きていく為に勉強したり、働いたり、金を稼ぐことを半ば強制され、その労働の辛さやパワハラに体や精神は悲鳴を上げ、ことあるごとに孤独に怯え、人に縋りつけば人間関係に苦しみ、容姿や性格やコンプレックスに悩み、老いや病気や介護に苦しみ、運が悪ければ老害の運転する車に突っ込まれたり強盗や強姦魔に殺されたり、意識不明の重体にされたりで、それでも死にたくないから何とか生きているって人もいっぱいいるだろう。夢?希望?そんなもんはたまたまそれを見れる立場にある人の為だけにある言葉だ。

 

こんなこと誰しもがとっくに分かり切ってることだが、全員が全員インスタで世界に向けて毎日自慢したいようなことで溢れる人生を歩んでると思ったら大間違いだ。

 

誰にも注目されない深夜の土木工事の現場でライトを振ってるオッサンや、コンビニや牛丼屋でワンオペで深夜に働いてるオッサンや、一人公園のベンチで佇む警備員の制服を着たオッサンの項垂れた顔や、アマゾンの倉庫で酷使され病気になっても救急車さえ呼ばれずそのまま徐々に死んでいくオッサンの顔を見たことがあるか?

 

そんな彼らみたいな人間全員が、億万長者のアーティストやモデルや芸能人や各界の成功者のように一見でもいいからキラキラした生活を送れるだろうか。送れるわけがない。椅子の数は決まっている。そんな、運と競争とサバイバルの弱肉強食の世界に、子供は親のエゴで勝手に産み落とされたのだ。

 

それどころか、日本の現状と未来を見ろ。

 

社会保障費が30年前と比べて爆上がりし、ありとあらゆる税金が上がり、可処分所得は何十万円も減り、0%だった消費税はついに10%にまで達し、年金の支給開始年齢や支給金額はどんどん遅れたり減っていこうとしているし、少子高齢化が極まって2050年には国民の約2.5人に一人は65歳以上の高齢者となり、その数およそ4000万人で、今現在の時点で30~40代の貯蓄0世帯が約30%。シングルマザーの貧困率50%越え。

 

こんな状況の国に子供を勝手に産んでおいて、その子供に向かって親へ感謝しろだ?

 

馬鹿も休み休み言え。

 

産んだ後で何か一つでも文句言うくらいなら産むな。以上。

 

世の中、自分で勝手にやった癖に「~~してあげたんだから」等と見返りを求めたり押し付ける人間が多すぎる。知ったこっちゃねえよ、誰も頼んでねえから。

 

キャバ嬢に勝手に100万円貢いどきながら「こんなに貢いんであげんだから付き合ってよ~」とか言って断られたら不機嫌になるオッサンって死ぬ程キモいだろ?それと同じだ。

 

子供に「生まれてきてくれありがとう」と親から感謝はすれど、「親に感謝しろ」なんて押し付けるのは絶対に間違っている。

 

俺の人生の中でこれまでに「親に感謝しろよ」とかしたり顔で言ってきた全てのバカ共に声を大にして言いたい。

 

何が親になったら分かるよ、だ。バーカ。

 

子供にどんだけ金かけようが、仕事休んで子供にどれだけ時間使って一緒に遊ぼうが、誰かから感謝される為にやってねぇよ。そんなもんは全部親であるオレのエゴで、オレがしたいからしてんだよ。

 

逆だ。テメーらみたいな押し付けクズヤローこそ親になる資格なんかねーよ。

 

っていうのが、子供を持った親としての一つの感想。

他人は何があっても絶対に裏切る

悲しい話だが、人は裏切る。

 

余裕で裏切る。

 

平然と裏切る。

 

笑いながら裏切る。

 

当たり前のように裏切る。

 

絶対に裏切る。

 

と、短いながらも自分の人生の中で経験を積んで理解した。

 

例え、こちらが相手のことを一切悪く思っていなくても。

むしろ、大切に思っていたとしても。

 

人は裏切るのだ。

 

例えば、ある人にとって、どんなに自慢の妻でも、実は旦那デスノートとかに日々隠れて「旦那死ね」って書き込みまくってたとか本当によくある話だと思う。

 

他にも世間に蔓延りまくる不倫とか浮気も最たるものだ。

 

素敵な笑顔の裏で他人に陰口・悪評をバラまいていた、なんてのも日常茶飯事だ。

 

金の為に、性欲の為に、立場の為に、ストレス発散の為に、人は人を裏切り続ける。

 

そういう意味では、家族でさえも、所詮は他人である。

 

そういう相手(主に過去の友人達)に面と向かってブチギレ&ガチギレを散々かましてきた俺は、結局悪者にされて周囲から人がいなくなることを何度も経験した。

 

結局そうなると、人にもう期待しなくなるしかない。

 

どんなに洗練されたジェントルマンだろうが、どんなに貞淑な貴婦人だろうが、根っこはとんでもない裏切り者なんだ、と想定しておくしかない。

 

どんなに気が合った人間も、どんなに調子のいい笑顔で笑う人間も、何かあれば即座に自分を裏切ると考えておいて何一つ損はない。

 

そして、露見する裏切りなんて序の口で、露見しない裏切りこそが最も性質が悪いのだ。

 

「心の底から信頼しあえる関係」というのは基本的に幻想でしかない。

 

30年一緒にいようが、50年一緒にいようが、小さな裏切りが一つでもあれば、積み上げた信頼は全て崩れていくし、再構築をするまでに要する時間は、軽く元の数倍は必要となる。

 

ただ、自分が裏切ってもいいとは思わない。

 

出来る限り、潔白清廉であろうとは思う。

 

人に対して、お互い知っている他人の悪口を一切言わない様にするとか、他人から人や物を掠め取らないとか、人を騙さない嘘を吐かないとか、そういう至極当たり前の事ね。

 

そして、他人に対しては、一切期待しない方がいいんだと学んだ。

 

個人的には、よくある「オレが〇〇してあげたんだからお前も〇〇しろよ」みたいな能動性の強要は、するのもされるのも押し付けがましくて凄くイヤなのだが、「他人が嫌がることはしない」みたいな受動的なものは、普遍の民度や道徳として当然のように人間全員に備わっていて欲しいのだが、そうもいかない。

 

自分はそうしているのだから、相手もそうしてくれるはずだと思うと、裏切られた時の怒りとダメージがとてつもない。

 

そもそも、期待していなくとも、自分は相手を傷つけないように努力しているのに、相手は自分を平然と傷つけるというのは、あまりにも不平等で一方的な状況なのだが。

 

そういう状況にならないようにする為には、事前に、相手が裏切ったら相手に対して何らかのデメリットが発生する仕組みを構築しておくしかない。

 

仕組みが構築できないような関係なら、もう諦めるしかない。

 

そういう場合、裏切られた時に怒りに任せて恫喝しまくったり報復しまくったりすると、その凶暴性が周囲に流布されてしまうことも何度も経験してよく分かった。

 

よくそういう時は次の裏切り者を出さない為に徹底的な報復が大事とか言うけどさ、それってその後も周囲の人間がそう簡単に変わらない会社組織における、しかも権力者側とかに限っての話だと思うんだよね。

 

対等かつ烏合の衆の友達コミュニティとかの場合、そういう徹底したところを出したとしても「あ、こいつのことは裏切らないようにしよう」なんてならないで逆に「うわドン引きだわ」で一人また一人と離れて終わりだからな。

 

だから、そうなりたくなかったら、裏切った相手を静かに切るしかないのだろう。

 

なんで常に裏切らない側が裏切る側の為にこんなに手間暇かけて事前に色々考えたり備えてなけりゃいけねーんだよクソボケ!とも思うが、仕方ないんだよなぁ。

 

世の中には自分のことしか考えない裏切りクズ野郎が多すぎる。

 

そして、こういうことを、ゆくゆくはどうやって子供に伝えていけばいいのか悩み中。

昔からの友達がほぼいなくなった理由

個人事業主になり、結婚し、子供が生まれ、環境が変わったから。

 

それも勿論あるが、それ以上に決定的かつ明白な理由がある。

 

それは、間違いなく俺がキレたからだ。

 

過去にマジギレしたことがある奴は、ほぼ全員友達からいなくなった。

 

ついでに、マジギレしてる時に周囲にたまたまいた他の友達もいなくなった。

 

意外にマジギレして喧嘩になったことはほとんどない。

 

大抵、その場は相手に平身低頭で謝られ、それで終わる。

 

だが、もう二度と友達ではなくなる。それだけだ。

 

そう、この年はこのコミュニティで、あの年はあのコミュニティで、といった具合に、あらゆるコミュニティでマジギレし続けた結果、あらゆる友達がいなくなっていったのだ。

 

ちなみに、あくまで俺の一方的な意見だが、俺は理不尽にキレたことはほぼない。

 

何かしらの相手からの能動的なアクションを受けて、それに対してキレているだけだ。

 

ついでに、俺は友人関係を築く際、極力相手に失礼にならないように心掛けている。

 

言葉は常に選ぶし、自慢はしないし、何なら自分の嫁が妊娠した時も「もしそれをいま友人らに報告して、後のち万が一流産などになった場合、その結果もいずれ聞かれれば友人らに報告しなければならないだろう。もしそうなったら、それを聞かされた相手も反応に大変困るだろうし、空気も悪くなってしまうかもしれない。だからちゃんと何事もなく無事に生まれてから子供が生まれたことを事後報告しよう」と思ったし、実際そうした。

 

また、「事後報告をする際も、相手が実は裏では不妊治療などで苦しんでいないか?子供が生まれたという話を聞いて、純粋にマウンティングをされてると相手が感じてしまわないか?」という所まで当然のように気を回していた。

 

だって、相手の状況を知らないで自分のことを喜々として話すのは無神経だろう?俺がもし不妊に悩んでいる立場だったら、友達から嬉しそうに子供を授かった話などあまり聞きたくないと思うだろうから。

 

という具合に、俺は友達に対して、常に「もし相手が自分だったら」という想像を働かせて付き合いをしてきたつもりだし、コミュニケーションする際も出来る限り相手が不快にならないように、声のトーンや抑揚、間などに人一倍気を遣ってきたつもりだ。

 

俺は自称HSPなので、面と向かった相手の気持ちに敏感になりやすいのだ。

 

が、それらを鼻で嘲笑うかのように図太いというか、他人のことを全く考えない奴が周囲に何人かいたのだ。

 

■以下、一例

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・承認欲求の塊で散々聞いてもいない自慢話を周りにする癖に、人から自慢話をされると露骨にイライラしたりふて腐れたりする奴。

 

・集団の中で自分が落ち込んでいる時に周りから散々気を遣われたことがあるのに、自分は他人が落ち込んでいようが一切気にも留めない奴。

 

・男女が複数人入り混じったコミュニティで、特定の女と仲良くなっている様子をわざわざ周囲に匂わせて変な優越感に浸ろうとする奴。

 

・飲み会でイジリの延長で誰かをこづいたり、首を締めたりする奴。

 

・ほぼ初対面なのに盛り上がる為だけに、その場にいる誰か、いない誰かをゲラゲラ笑いながら貶める奴。

 

・自分で宴会を企画しておきながら人に毎回予約を丸投げして労いすら全くしない奴。

 

・自分は何人か人を集める時に相手をえり好みするのに、いざ自分が他の誰かの集まりに呼ばれないと仲間外れにされたことが耐えられず露骨にキレる奴。

 

・自分のコミュニティ内評価や意中の相手からの評価を上げる為に恣意的に特定の誰かの悪評を捏造して秘密裏にバラまく奴。

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まあ色々なコミュニティで色々な奴がいたんだが、大体こういう奴ら(大抵の場合は上記要素の複合型が多い)に対して、俺は最終的には毎回ブチギレてきた。

 

そういう奴らにもイイ所や一緒にいて楽しい面もあったのだが、やっぱりネガティブな部分に長年晒され続け、その中で一際あまりにも酷い態度を取られたりすると、我慢の限界を越えてしまい、面と向かってその場で大声で相手の非を責め立てブチギレてしまう。もしくはソイツのすぐ真横の壁を思いっきり殴りつけたり、物をブン投げたりしながら大声でブチギレる。毎回そういう感じだった。

 

で、そのブチギレた相手以外にも周囲には、俺が何もネガティブな感想を抱かない普通の人達もいたりするのだが、激昂し、般若の如くブチギレた俺を見て大体ドン引きしてしまい、あるいは、ブチギレられた奴が、その場に周囲にいた人間・いなかった人間関わらず「キレたアイツがいかに悪いか」というのを後々捻じ曲げて伝えていくのだ。

 

で、俺は、その出来事について過ぎた後に周囲に話すことは、女々しいし情けないと思っているのでイチイチそれに対して反論や弁明を一切しないでいた。

 

なんだか物凄く損な性格だと我ながら思うが、そういうブチギレ対象の奴に対して、事前に周囲の人間達に根回しして排除するというのは、凄くイヤだったので俺はしたことがない。

 

そして、俺がキレた場面を目の当たりにして、あるいはキレられた当事者から捏造話を聞いて俺から人が離れていくのだとしたら、そいつらは所詮その程度の奴らだったから別に縁が切れてもいいやとも思っていたのだ。

 

そうこうしていたら本当に縁切れまくって、気付けば5年間くらい孤独になってて草。

 

きっと、中にはブチギレた俺に対して「よく言ってくれた!」と思ってくれた人も少数いたかもしれないが、多分オレのキレ方が例外なく酷過ぎるので、それ以上に「うわこいつヤベー奴じゃんもう二度と関わりたくない」と思われてしまったんだろう。

 

ちなみに、俺がキレるような人間は物凄く孤独体勢が低く、常に誰かしらと群れていないとダメな雑魚イキリタイプが大変多かったので、表面上だけ見るときっと今も充実してそうに見えるだろう。(いずれ周囲から見放されることを俺は切に願っているが)

 

だけど、キレたことは一度も後悔したことがない。

 

という自分の性格上、もうこういう奴らとの関わり合いはイヤなので、気付けば、新しい人間関係を築こうとも中々思えなくなってきた(経験上、10人いればその中に1~2人ぐらいはこういうブチギレ要素を持った奴らが出てくる)し、孤独に慣れてしまったことでより一層オレの沸点は低くなっていっているような気がする。

 

・俺と相手とで同じようなレベルで思いやりを持ち合える。

・他人の言葉に惑わされずに自分の目で見て耳で聞いて調べて物事を判断ができる。

・似たような話題でそこそこ盛り上がれる。

 

上記の点さえ合えば、新たな友達と長い間仲良くやれるのかもしれないが、そんな人がいるのか甚だ疑問だ。

陰キャは嫉妬パワーでモチベを上げろ

一人でひたすら作業する自営業かつ友達がほぼいなくなったので、ここ4~5年ほど人と比べる生活を全然してこなかった。

 

いちいち人と比べないので、それが原因で落ち込むことはない。

 

常に自分はオンリーワンな自分なのだ。

 

さて、趣味らしい趣味もほぼ全てなくなり、かつ、ADHDの疑いが非常に強い俺のような先延ばし癖の塊のような陰キャナマケモノ野郎がそういう生活を送っているとどうなるか。

 

結論:引きこもりニートのような性格・生活環境になる。

 

ただでさえ希薄だった競争心とかがガチのマジで皆無になるので怠惰を極める。

 

人と関わらないので嫌な思いを一切しないが、その分、新しい出会いを求めたり、新しいことをする気が全くなくなる。(新しい人間関係の構築に対して非常に億劫かつ恐怖を覚えるようになる)

 

そして、刺激が全くないので、数年間の思い出がほぼなくなる。

 

約3年前の30歳になった瞬間から今タイムスリップしてきたんだよ!と言われたら「あ、そっかー」と2秒で納得してしまうぐらいに、子供関連以外には何も起きなかった。

 

なんかこのままじゃ流石にヤバすぎると思ったので、昔のムカつく元・友達とかムカつく元・知り合いの現況をネットで5年ぶりに確認してみた。

 

どいつもこいつも割とお気楽に楽しそうな毎日を送っていたり、経営者としてそれなりに成功したりしていた。(大体は今も結婚してなくて自由を全力で謳歌している連中)

 

そして、久々にムカついた。

 

当たり前だ。ムカつく奴らの現状確認なのだから、落ちぶれまくってホームレス化していたりブラック企業落ちして病みまくっていたり、あわよくば自殺していたりすることを全力で期待しまくりながら検索したのだ。

 

しかしながら、当然のことながらそんなことはなかった。

 

期待に添わない結果にムカついた瞬間、ぼーっとしていた意識がまるで眠眠打破&レッドブルを数本一気飲みしたかのように覚醒した。

 

それは、嫉妬からくる怒りである。「なんでこんなゴミ共がそれなりに楽しそうにしてるんじゃ!」という理不尽極まりない怒り。

 

理不尽極まりない怒りであることは重々自覚しているが、逆に俺から言わせれば「理不尽極まりないこの現実世界に対しての純粋すぎるまでの怒り」である。

 

頼むっ!こいつら今すぐ10万に1人が疾患するような難病・奇病にかかって、今までの生活全部崩壊して死ぬまで苦しんでくれッ!と心から願うドン引き仕様の怒りだ。

 

そして、その怒りがそのまま圧倒的な仕事への熱量に変わっていった。

 

やる気がしなさすぎて10分毎にCODモバイルをボーっとやりながら「んほぉ~30キルたまんねぇ~」とか余裕こいて言っていたさっきまでがウソのようだ。

 

クソ芋角待ち野郎に数回キルされて顔真っ赤になりながら「オラァッ!かかってこいやあああああアッッ!ぶち殺してやんよおぉぉぉぉッ!!」と絶叫しながら凸る。

 

そんな勢いで次々に仕事が消化されていく。

 

ここ5年ほど常に頭に霧がかかったようにフワフワぼーっとしていたが、嫉妬って物凄いパワーだ。完全にドラゴンの紋章、あるいはスーパーサイヤ人、あるいはゾーン。

 

基本的にSNSって一切やらないし見ようとも思わないんだけど、極たまには敢えて自らブチギレさせていくスタイルもいいかもしんないね。

 

っていうか、今もリーマンだったら常に周りと比較してて、わざわざこんなことしなくても俺も多少ヤル気だせてたのかなぁ。

 

自由気儘すぎるフリーランスは、怠惰・堕落への誘惑がとてつもない。